トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

政権与党が内閣支持率に一喜一憂する訳。

23~25日の日経世論調査では、学校法人「森友学園」をめぐる決裁文書改ざん問題を受け、内閣支持率が42%と2月下旬の56%から急落した。

 安倍内閣を「支持しない」と答えた人に理由を複数回答で尋ねると「人柄が信頼できない」が46%で最も多い。「自民党中心の内閣だから」と「政府や党の運営の仕方が悪い」が36%で続く。「清潔でない」は24%と第4次内閣発足時から7ポイント高まった。「政策が悪い」は23%で「人柄」の半数にとどまる。

 特定の支持政党を持たない無党派層で内閣不支持に回った人たちの回答に限っても、同じ傾向がみえる。「人柄が信頼できない」は41%に対し「政策が悪い」は19%だ。

 政策ではなく安倍氏の人柄という感情が内閣不支持の大きな原因になっている傾向が鮮明だ。

 

 

日経新聞記事より。

 

定期的に行われているアンケートの記事を抜粋。

 

政権が支持できない理由が『人柄が信用できない』とは笑わせてくれる!そもそも、どんだけ首相の近くで人柄を見ているんだよと突っ込みたくもなるが、まあそういうことではないのだろう。

 

政権与党は内閣支持率が下がり、いわゆる支持されない状態が続けば主権者たる国民に裁かれ次の選挙で負ける可能性が高まるから、神経を尖らせる訳だが。

 

国民は一過性の感情に左右されるのではなく、人柄が信用できない人が首相なのだから、しっかりと政治を監視して、ちゃんと選挙になったら、この度の事実を思い出して、しっかりと裁きを下していただきたい。

日本ペイントは乗っ取られた?

日本ペイントホールディングス(HD)は28日、大阪市内で定時株主総会を開いた。筆頭株主シンガポール塗料大手、ウットラムが推薦した6人を含む10人の取締役が選任された。同日開く取締役会後にウットラムトップで日本ペイントHD取締役のゴー・ハップジン氏が会長に就く見通し。日本ペイントHDは新体制で配当や1株利益の最大化を目指す。

 

 取締役選任など4つの議案全てを可決した。総会に参加した豊中市の男性株主(86)は「乗っ取りと言えばそうだが、今時点で良い悪いは言えない」と話した。

 

 1月下旬にウットラムが取締役会の過半となる社外取締役5人とゴー氏の計6人の役員を推す株主提案を提出。日本ペイントHDは協議を経て、3月はじめにウットラムの提案内容を取り入れ、役員選任議案を一本化していた。

 

 

日経新聞記事より。

 

日本最大の塗料メーカーで、自動車の外装も塗装している塗料屋さんが、シンガポールの会社に乗っ取られて久しい。世界最大の塗料メーカーはアクゾノベルだが、ここも大手であることは間違いない。

 

取締役が過半数出せるということはもう完全に乗っ取られたと思って、間違いないだろう。あ~あ。確かに非常に高い品質管理力を持っていた日ぺも経営は隙だらけだったのかなぁ~。

 

技術開発力も圧倒的だったんだけどな~。

 

自社で材料も製造できたところなのに。

 

株主はああいっているが、日本にとってこれがマイナスに全くならない訳がない(笑)

 

森友答弁佐川氏圧勝。

冒頭の参院予算委員長による総括尋問で、「改ざんは、いつ、誰が、何の目的で」と核心の証言を求められると、即座に「刑事訴追のおそれがあり、答弁を差し控える」と丁寧だが毅然とした口調で証言を拒否した。ただ、改ざん事件での自らの責任については「ひとえに責任は私にある」と深く頭を下げた。

証人喚問劇はこの導入部で流れが決まった。与党、野党の順で進んだ尋問に対し、佐川氏は(1)(改ざんは)すべて理財局の内部で行われ、担当局長だった私に責任がある、(2)首相や首相夫人、政治家の関与は一切ない、(3)首相秘書官も含め内閣官房の関与もない、などと断定的な口調で証言した。その一方で、改ざんの指示、時期、動機など具体的経緯については「刑事訴追のおそれ」を理由に一切の証言を拒否した。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

もうね。すごいね。これ以上の答弁は無いでしょう。

 

国会の運営上は百点満点の回答だわな(笑)

 

でも、国民はきっと納得していないだろうし、これで解決したとも思えない。

 

あくまでも、追及をかわしきったに過ぎない。国会は捜査の場ではないので、これはこれで仕方がない。追求しきれなかった国会議員を責めるのはお門違いだ。佐川氏は官僚。つまり、こういうルールに強い側の人間だ。証人喚問が行われるまで、十分な準備をする時間もあった。今後の身の振り方、責任を被った結果の恩賞も含めて交渉するには準備は万端だったろう。

 

そうなれば、もう官僚の独壇場で、後はルールをかさに着て逃げ切り前回である。刑事訴追があって、結果有罪になったとしても、そんなもんが屁でもない状況に彼は行ける切符をすでに手に入れているはずだ。

 

出なければ洗いざらい話すくらいの矜持は持っているだろう。

 

財務省は書類管理の新たな規定作りに今後追われるだろうから、『余計な仕事増やしやがって』と後輩には思われているだろうが、ルールを作るのは官僚側だから、これを攻略するのは簡単ではない。

2018年度予算成立。

2018年度予算案が28日に成立し、通常国会は後半に入る。学校法人「森友学園」の国有地売却に関する財務省の決裁文書改ざん問題では、政府は27日の佐川宣寿国税庁長官の証人喚問で幕引きを図ったが、佐川氏の証言はあいまいさも目立った。安倍晋三首相の米露両国への訪問など大型の外交日程が終わる5月までに支持率が回復しなければ政権運営がさらに不透明さを増す可能性もあり、政府・与党は危機感を募らせる。 「国民から厳しい目が向けられていることを真摯(しんし)に受け止め、徹底的に調査し、全容を解明していかなければならない」。首相は28日の参院予算委員会でこう強調し、文書改ざんの再発防止へ「責任を果たす」と理解を求めた。27日の喚問で、佐川氏が首相や妻昭恵氏の指示を否定したことについても「あとは国民がご判断いただくことだ」と述べるにとどめた。

 

 

Web記事より。

 

予算が成立したのは何より。

 

どこぞの首切り大統領よりはちったあマシな国会らしい。

 

真相究明や、説明責任を果たすと口では言うが、どう考えても出て来た状況は説明しようと真摯に考えている様に見えないのは私だけではあるまい(笑)

 

嫌々説明する格好だけとっているのは大抵の人が感じているだろうし、だからと言ってうまい事追及を全力で逃げ切る姿勢の安倍政権を擁護したいなんて思わないだろう。

 

不信感が残る人間関係や組織関係を維持するにはもう精神論では無理。

 

実益で釣る以外の方法は無い。そういう意味で安倍政権は打てる手が大幅に減ったと考えてまず間違いない。

 

9月の総裁選までもつのか?

 

私はもたないと思うけど。

競技者の信念を感じた。

フリースタイルスキー・男子モーグルの「エース」と呼ばれてきた遠藤尚(忍建設)が、今季限りで現役を退いた。10位に終わった平昌(ピョンチャン)五輪まで3大会連続で五輪に出場し、2010年バンクーバー五輪では日本男子過去最高(当時)の7位入賞。長年先頭を走ってきた27歳が、余力を残して第一線を去る。 引退レースは、18日に札幌市であった全日本選手権。昨季世界選手権2冠の堀島行真(中京大)には敗れたが、その他の若手はねじ伏せて準優勝を飾った。今季のW杯ランキングは4位。実力は、今も世界トップクラスと言っていい。

 それでも引退する理由を聞くと、遠藤は「戦う気持ちを作ることが、もう難しい」と語った。

(中略)

最も思い出の残るレースを聞くと、自分のことではなく、平昌で日本男子モーグル史上初の銅メダルに輝いた原大智(日大)の滑りを挙げた。「そう思う段階で、競技者としては終わりです」 堀島や原の成長について、遠藤は「もう後輩に見せられるものはないし、もう自分には可能性を感じません。引退には十分すぎる状況」。泣きながら笑って、選手生活に別れを告げた。

 

 

Web記事より。

 

トップクラスの選手が、オリンピックを始めとする競技大会へかけるその意気込みは並々ならぬ覚悟と戦いなのだと改めて感じ入る記事だった。モーグルと言う27歳でベテランの部類に入る苛烈な競技に於いて彼の様にオリンピックにかけて、怪我の検査も固辞して戦い続ける姿に執念と怨念を感じる。

そこまでしても届かなかった目標への絶望感はそれこそ計り知れないし、体験した本人以外にきっとその悔しさやその他諸々の感情を理解するなんてかなわないのだろう。

競技者としてやり切ったその生き様は間違いなく今後の人生に意味のある事として生きるに違いないが、遠藤選手個人の今後の幸せを祈りたくなる様な記事だった。

 

自分は普通のサラリーマンだけれども、彼の様に一つ一つの仕事に真剣に限界まで臨む信念を改めて教えられた。世間で言ったら、若干27歳。彼の今後に幸多かれと心の底から、祈って行きたい。

日本人経営者はどう見ても中国人経営者より無能。

日本人の労働者の質は世界的に大変高く評価されており、ランキングは世界第4位です。このランキングは、発表されるたびに上昇しています。

しかし、この優秀な人材を使うための「最低賃金」が、国際的に見ると極めて低いのです。普通は、優秀な人材を使うには高い給料を払わなければなりませんし、低い給料の人材は質が低いのが当たり前です。しかし日本の経営者は、人材ランキング第32位の韓国よりも低い最低賃金で世界第4位の労働者をこき使えるというおまけまで得ているのです。

それだけではありません。日本では長くゼロ金利の状態が続いているので、極めて安いコストで資金調達ができます。さらに諸外国のようなインフレとは無縁です。そのうえ、株主からのプレッシャーも他国に比べるとないに等しい状態です。

もっと言うと、特に中小企業の経営者は税金を払わないことが賢いと勘違いして、税金を納めていない企業も多いのです。

ここまで恵まれた状況で、世界第4位の優秀な人材を使って生み出しているのが、世界第28位(先進国最低)の生産性です。これだけの好条件に恵まれているにもかかわらず、十分な成果をまるで残せていないのが日本の経営者たちなのです。これでは、日本の経営者は奇跡的に無能だと言われても、しかたがないでしょう。

これは、データでも裏付けられます。スイスにある世界最高のビジネススクールのひとつ、IMDが発表した「World Digital Competitiveness Ranking 2017」で日本の経営者がどう評価されているかをご紹介しましょう。

日本の経営者は63カ国中、機敏性が57位、分析能力や戦略を決めるときにデータを使う能力は59位と、ビリから数えたほうが早い下位に沈んでいます。他の先進国ではとうの昔に時代遅れになった、感覚と経験による経営にいまだにしがみついている実態が見透かされているのです。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

日本の経営者が如何に無能かを説いた週刊東洋経済の特集記事。

 

何度か別の切り口で連続特集されている。

 

中国の経営者は兎に角判断が早い。間違っていても、合っていても、即断即決。だから、当たるとガンガン伸びるし、間違っていたら、すぐに方向転換するので、兎に角、手数が多い。

 

そして、ここが重要なのだが、企業が儲かっていれば内部留保なんて考えずにガンガン給料を上げてくれる。

 

なぜなら、優秀な社員が多く会社に長い時間残ってくれることを重視するからだ。中国は極端な学歴社会であると同時に、超実力社会でもある。経験豊富な社員は喉から手が出るほど欲しいし、あっという間に優秀な能力をもっている社員は同業他社へ給料の額だけでさっさと転職してしまうのでつなぎとめるのに必死である。

 

会社への忠誠心はほぼゼロといっても過言ではない。

 

 

阿紫花英良ではないが常に中国人は『で?お代はいかほど頂けるんで?』だ。

 

仕事をさせるなら、金払え。仕事を覚えるなら金払え。会社に残って欲しいなら金払え。である。

 

評価は役職(名誉)と金(実利)のみで行われ、そこには絶対評価基準である金銭が絡むため非常にシンプルで分かりやすい(笑)

 

だから、中国の経営者は惜しみなく従業員に金を払う。無論、会社が儲かる限りにおいてはとの枕詞が付くわけだが。

 

儲かっていても従業員に金を払わない。儲かっていなければ余計に払わない。金で評価もしようとしない。『やりがい』という訳の分らない、数値化できない言葉でけむに巻こうとするそんな日本の経営者と中国人の経営者どちらの態度がより、労働力を提供する我々従業員からしたら、誠実な態度だろうか?

 

言うまでもないだろう。

 

カネカネ言う気はさらさらないが、金は重要な評価基準であることに変わりはない。そこにはどんな理屈よりも正確に従業員を評価する指標になりうる確かな価値がある。金が万国共通の金銭的信用の裏付けであるのと同じように。

 

だから、中国の会社では上司よりも給料が高い部下がザラにいる。

 

そういった高給取りの部下はその『職能(スキル)』で評価されているのだ。ただし、給料が高いからと言って、上司の命令を無視するようなら、簡単にクビになる。当たり前だ上司の命令は中国では絶対だから。

 

職級が絶対だからこそ、部下の給料が上司より高くても組織は機能する。生殺与奪権はあくまでも組織の長たる上司が持つ。だから、高給取りでも、部下は上司に絶対服従なのである。クビになったらその高級ももらえないのだから。

 

実力主義ではあるが、不平等はない。これが中国スタイルだ。

 

日本の経営者が無能というのはあながち間違ってはいないでしょう?

 

ホーキング博士の最後の仕事。

車いすの天才科学者」として知られた英物理学者スティーブン・ホーキング博士が、14日に76歳で死去する直前、宇宙論に関する人生最後の論文を病床で書き上げていたと、18日付の英紙サンデー・タイムズが伝えた。 論文は学術誌が査読中で、内容への評価は出ていないが、宇宙は複数存在し、われわれのものはその一つに過ぎないとする「多元的宇宙」の存在の証明に関するもの。ホーキング氏が存命中に論文の正しさが認められていれば、ノーベル賞を受賞した可能性があったと同紙は指摘した。

 

 

ロンドン共同通信社のWeb記事より。

 

天才の見えていたものは何かまでは解らないが、この論文が精査され発表可能な論文として認められれば、凡人の自分もきっと天才が差し伸べた手の爪の垢くらいの英知に触れる事が出来るのかもしれない。

 

多元的宇宙論とも言える今論文は『無限に広がる大宇宙』と某アニメの始まりの如く壮大な話であり、昨今やっとこ『宇宙の起源とは?』もしかしてこうかも?的な話が出て来たところなのに『やっぱ宇宙はいっぱいありそうだわ(笑)』というちゃぶ台返しも厭わないスケールの大きさがやっぱり天才なんだと思う。

 

そう考えると、仏教哲学における宇宙観が如何に優れているのかが垣間見える。

 

数千年も前の釈迦の時代によくもまあ、あんな壮大な哲学体系を仏教としてまとめ、法華経として編纂し、一教団として成功したものだと驚きを隠せない。

 

人類の不思議というか、生命の不思議というか、よくぞ見えもしない大宇宙の奥底を論理的思考実験の様なアプローチで知覚したもんだと思う。人それを『悟り』というのだろうが、恐らくホーキング博士も似た様な感覚を持っていたのではなかろうか?

 

だからこそ博士は『神は死んだ』的な事を恐れも無く主張したのだろうと思う。仏教では神は存在しない。仏はいるけど。神とは仏または仏法を修行する法華経の行者守る働き全般を指し、その名を『諸天善神』という。神とは助ける働きそのものであり、信仰の対象では無いと言うのが仏教的な立ち位置。

 

こうなるとなるほどだから、『仏教は地元由来の既存宗教とぶつからずに内包出来たのね。』と変に納得してしまう。ヒンズー教の破壊神も仏法守護の諸天善神の一人として勘定されてるからね。

 

仏教という法則を護る『護法の働』を指すのであれば存在そのものは極端な話どうでも良いから、なんでも味方に出来ちゃうのだろう(笑)

 

仏とは超人的な『仏マン』を設定し、そこへたどり着くゴールでは無い。

 

そもそも宇宙に自然に存在する生命哲学、生命論的な法則を目に見える論理体系に編纂して、人類が実践可能にした教科書的な存在を『仏教』と呼称するのだと私は理解している。

 

その仏教内に宗派の違いは有れ、表現されている仏とは究極唯一無二の存在では無く、そもそも、人々に備わっている命そのものを指し、その一側面が『仏状態』として現れる様なものだと思っている。

 

殴られれば、頭にきてやり返す様に、命に何かしらの外的、内的要因がぶつかって、出て来た側面を説いたのが十界論で語られる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏の人間の10側面だと考える。

 

従って、最高の命の状態『仏』が出てくる要因にぶつかれば自然とその様な状態になり、それが維持できている状態をもって、仏と例えられたのだろう。

 

その到達過程が所謂、『修行』であり、その仏法の実践者を『行者』この場合、『法華経の行者』と呼称する。その実践者たる普通の人を守る働きを『諸天善神』と呼称して、『神』と定義した。

 

故に一般的に語られる『超常的』な神は仏法には存在しない。

 

その感覚に恐らくホーキング博士は近い感覚をもっていたのではとこの記事を読んで思ったと言うお話。

 

なげーな。

 

ごめん(笑)