トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

いろいろあるのね団塊Jr.

最近、やれ30代は働きすぎだのメンタルヘルスがどうのこうの。就職氷河期が解凍されて云々とか。はたまた格差社会の洗礼がどうのとか。いろいろあるのでしょう。また一刀両断にこうだからこう!ってな答えも多分ねーのだろうな。勝ち組、負け組みなんつう簡単なわけかたは出来ないんだよきっと。

例えば収入。銀行なんかは場所によっては20代後半で1000万を超える。どこぞの外資系証券会社はその3倍もらってる20代もいる。それが幸せな人もいるのだろう。でも同じ立場で幸せを感じない人もいる。公務員や大手企業に勤務している人たちも果たしてそれだけで勝ち組だろうか?また現在いわゆるニートとか例えばホームレスだったとしても果たして不幸だろうか?人の幸不幸はいったい誰が決めるのか?

これは究極は自分が決める。

誰がなんと言おうとどう見えようと本人が『幸福だ!』と実際感じていれば幸福なんだな間違いなく。それがどんなに過酷な状況だろうと。また歪んでいようと。ただ相対的価値観に左右される感情の生き物人間達にはこれが精神的に耐えられない。どこの誰ともわからない『誰かさん』に決められた相対的価値観に踊らされてまたは知ってて自ら踊って事たれりとしている。考えるのも流れに逆らうのもめんどうくさいからだろう。意図するにしてもしなくても。

さて、根本的なところにもどろうか。では問題。幸福な人生ってどんな人生だ?さてさて判らなくなってきた。現状日本は閉塞的だいろんなモンが限界に来ている。個々人が厳密に知らなくても本能レベルが反応して薄々感づいているんじゃないか皆さん。

いままでは『相対的価値観幸福感』で驀進できた。価値も多様化せず勝ち負けがはっきりしてわかりやすかった。そして日本の構造上かんたんな二者択一で結論が出た。ここが最大級問題だがその殆どに勝ち組意識がある国民性だった。一億総中流というがありゃ間違いだ。一億総勝ち組体制の確立だったんだ。中流ということばみんな貧乏なんて言葉があったが実際そんなこと意識している同級生がいったい何人いた?それなりに。普通にと思っていたはずだ。これこそ本来ありえない形だったと気が付くべき。

年功序列の制度も一億総勝ち組体制を支える大事なシステムだったのだと思う。人口さえ安定して増えていれば物さえうれれば簡単に維持可能だったのだから。これには落とし穴があってそれには30年も前に政府が気がついていた。曰く、『日本が勝ち組国家になるまでの間は成り立つ』今の中国がそうだろう。安い労働力、ゆるい法律、ゆるい環境意識。これらを犠牲に国民を一時的に苛酷な環境に追いやる見返りに時間を超越した大発展を手に入れる。GDPの伸び率、物価の上昇度合いを見てもそれは明らかだ。

若干違うのは国土がでかく、人口も日本の比じゃないので破綻が先延ばしになりやすいってところだろう。日本はその国土の狭さから劇的な変化が起こりやすい箱庭だから。

さてじゃあ幸福な人生ってどうやったら手に入るんだ?

私が個人的に思うに以外に簡単なんだよ。『幸福を追求する』これだけ。ただ具体的にだ。最初にいったが幸福の価値の置き所は極論すれば自己満足。ここじんがどう自分の幸福を確立するかが問題。ここで教育が大事になる。反社会的、班人間的な幸福を目指す絶対数が多くなったらその国は無法地帯になる。すくなくも歯止めがかかる教育を施す責任が国にはある。勘違いしないで欲しいのは優秀な生徒を製造する責任ではない。善悪を考える心を持った人間を作る責任があるってことだ。判断は個人が行うその結果裁かれたとしてもそれは本人の責任だから。善に偏ることも悪に染めることもしなくていい。人間の本質はどちらでもない。環境に応じて変わるのだから。ただ考える人間を作ってくれ。考えないインテリがこの国の限界を早めた。考えることを許さない教育が歪な優等生を量産したと私は思う。

さてもう一つ。それが政治だ。何も変わらないなんて論議がいかにばかばかしくもったいない話か見えてきた人もいると思う。幸福を追求する手段としてこれほど有効な手段はほかにない。少なくとも法治国家なら。今の若い現役世代はそれに気がついていない。だから結局変える力をもちながら『変わらないのだ!』当たり前だ。『考えず』に変わることを望まないのだから。曰く、『めんどくさい』からだ。

現実に国を動かしているのは我々なんだ。絶対に忘れてはならない。気に入らない政治屋国家元首すらその首を挿げ替える力をもっている。きがついてないだけ。昨今の大企業の品質問題も結局、消費者に逆らえないではないか。政治に置き換えれば簡単な話だ。消費者は有権者有権者=国民をないがしろにすればそんなやつらを排除できる力をもっている。見ようとしないだけ。

友人で過去に『この国は官僚が動かしているだから政治を変えても変わらない!』といった友人がいた。でも今なら思う。今なら言える。『やり方が半端だからかわらないんだよ!』法律を変えることが出来るのは国会だ。気に入らん腐れ官僚どもを一掃する政治家を国会に送り込む力を我々は持っている。無理だと考える一人が結果無理を生む。出来ると全員が決意すればできる。

意識しなくてもやってるじゃん。雪印しかり不二家しかり。時の首相もスキャンダルで引きずりおろしたろ?あれを意識的にやるんだよ。選挙を使って。それでこの国は変えられる。間違いなく。自分の幸福を諦めるな。諦めた悔しさで人の足を引っ張るな。敵は目の前に巧妙に隠れて存在する。やられっぱなしは無しだ!