トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

また過労死かい!

「自殺や過労死するくらいなら仕事辞めろ」

と記事が紹介されていた。

こういう記事が出る度に思う。


辞められたら辞めてるんだよ!


そもそも過労死しなきゃいけない、もしくは過労死してしまう状況にいる人物はまともな判断は出来ない。生死が掛かる異常事態のさなかに冷静な判断を出来る人はなかなかいない。

だから『死ぬ』のだ。

極端な言い方だが、戦場に立つ兵士に向かって『怖いなら逃げちゃえばいいんじゃない?』なんて理屈が通じるのだろうか?逃げるのだって簡単じゃない。無事に逃げるには戦う以上の準備と力が必要になる場合がある。

そんな判断を正確に下せるだろうか?自分が死にそうな環境で。しかも、死にそうな本人に死が迫っている感覚がないのに。

それで。

今回見つけた記事で無くなられた方も妹さんの結婚式に参加する為に帰省して来た時に倒れて亡くなられたそうです。しかも、もう仕事を辞めると家族に宣言していた矢先だそうです。

ご家族の悲しみはどれほどか。結局彼は自分の死期が近づいているのを気がつかなかった。対策を打つのが結局、間に合わなかった訳だ。こういう話は個人の力で抜け出すのも必要だが、ルールを変える『権力』側が手を差し伸べないといけない種類の問題でもある。

自己責任で片づけるには余りにも辛い結果だろう。

日本ほど働いている国は中々無いと思う。中国ではサービス残業という考え方がそもそも無い。『なんですかそれ?』と不思議がられてしまう。意識の改革は一番時間が掛かる。敵の姿が見えないから。しかも原因が分散していて一個潰してもまだ次があるから。でも一度変える事に成功すればその効果は他に波及する可能性がある。

最初の一人が大変だし、大事になってくる。まともに仕事をしていれば30代にもなれば1度や2度『過労死』寸前のところまで追い込まれるサラリーマンは腐るほど居るだろう。これは公務員だろうが、一流企業の社員だろうが関係ない。今回死んだ彼はまさに一流企業の社員だったのだから。

もう、毎年、自殺や過労死で3万人もの尊い命が失われるのは辞めにしよう。死ななくても何とかなる世の中に変えていこう。知恵が欲しい。力が欲しい。何とかして上げられる知恵とそれを可能にする力が。

私は26歳の時たまたま死なずに済んだ。過労死寸前の状況からたまたま無事に生還し、死にそうな働き方であったのを自ら認識できた。正気に戻るチャンスがあり、その後のリハビリも上手く行き、たまたま社会復帰できた。

そしてまた働く機会と場所を得て今に至る。

優秀な人材、人の良い人材が先に行くのはとても悲しい。たまたま生き残った私の使命は生きたかったのに生きられなかった『方々』へ今はもう大丈夫だ!これからは大丈夫だ!と言って上げられる世界を作って上げられる事なのだろうか?解らない…。