トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

総理の密使

若泉敬という国際経済学者(故人)が同じく故佐藤総理とニクソン大統領が交わしたとされる核密約に対して書き表した本がある。いわゆる『他策』と呼ばれている本。正式には『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』当時自民党羽田政権で思い切り否定された核密約に関する本である。

今ではいろいろな資料が発見され公然たる秘密となっているが、政府見解は以前のままだ。

最近、『人の役に立つとはどういうことか?』という事を考えるようになった。私は18歳の頃から漠然と自分で事業を立ち上げて商売をやると目標を立ててきた。そのリミットが迫っている。

でも、いろいろな職業に縁してと言ってもたかだか4社だが…。

起業の真似事もその中で経験して失敗して見たが、どうもしっくり来ない。当時ある会社の立ち上げメンバーとして本社から分離される形ではじめた仕事がある。当時、月に3千万円ほど売り上げがあり、年間3億円近く売り上げを出していたと記憶している。当時の給料は20代半ばだったにも関わらず手取りで40万ほどだった。

その会社も今年、本社の社長に会う事があって聞いたところ、大分前に売ってしまったらしい。今はたいして儲かっていないようだ。

私はその会社で過労で倒れてしまい戦線離脱。たった2人でやっていた会社だった。その後、新しい社員1名を入れて3人で回したが結局自分は仕事に完全復帰できなかった。体が回復せずに会社を辞めざるを得なくなってしまった。

その後、時代背景が変ってしまい、その会社の価値ががた落ちになって、人手に売り渡したらしい。

当時の仕事は大変だったが、年の割りに金回りが良かったので結構残高を確認しないでカードで買い物したりしていた。

でも

不思議に満たされた感じは無かった。おりしも、ITバブルがあった時期で有名起業家がTVを賑わせていた時期である。それら有名起業家も自分の目指す起業家像とはイメージが違った。

その後『フローレンス』を立ち上げた元慶応大の学生社長の著作も読んだ。だいぶ自分のイメージに近かった。彼は『社会起業家』だった。社会的利益の為の仕事を事業化する。それは国家や公務員がやることなのではないか?と思えるが、その業態、世界観が自分の目指す起業家のイメージに近かったのだ。

そして冒頭の若泉敬著作に戻る。

彼が成し遂げたとされる密約については後世がケリをつける事を期待するとして、私が言いたいのは彼の姿勢だ。彼は一民間人として国の為にそれこそ自腹を切って粉骨砕身、努力して結果を出した。沖縄返還は密約があったかなかったかは別にして成し遂げられたのだ。

その妻も弁護士だったが仕事の途中で倒れて亡くなっている。『仕事をして仕事をして仕事の中で倒れるのならそれが本望』という主旨の文章を残している。

彼が行った無私の行動は私の心に非常に強い衝撃を与えた。

海外では公益を考えない、人の為に何かするという事を口にしない人は『自分勝手な人』と思われるらしい。これは知り合いのイギリス人の話なので全世界共通かは解らないが、少なくてもその人はそう思っている。

申し訳ないが今のイギリスは落ち目だ。経済力も技術力も。優れているのは政治くらいだろう。その国民が自国から遠くはなれた中国で日本人に公益性を説く。これはすばらしい。西欧ヨーロッパ、欧米には少なくてもその様な公益性に貢献するという意識が国民全体にあるようだ。

このような話を中国で中国人から聞く事は少ない。また日本で日本人から聞く事も少ない。経済の力で強引に引っ張られている今だからこそアジア圏には『公益性』『みんなの為に何か役立つ事をする』意識が根付いて欲しいと思う。そういう志がなければ必ず国は滅ぶと私は信じている。

若泉敬の著作に20世紀最大の歴史家の一人とされるアーノルド・J・トインビー博士との対談集がある。『トインビーとの対話 未来を生きる』である。これを日本に帰ったら読んでみたい。アーノルド・J・トインビーについては著書『歴史の研究』で何度か日記にも書いたことがある。

私は社会の為に日本の為に一体何をどこまでしてあげられるのだろう?