トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

大王製紙の雄

創業家3代目社長実質的な4代目社長のお陰で信用を失墜させた大王製紙。その中興の祖と言われる第二代社長井川高雄氏は自らが言及した『恐怖の経営』を長男へ受け渡す事が出来なかったようだ。

日経新聞記事抜粋)

会社終焉の取締役会を、よう見ちょけ。1962年、大王は会社更生法の適用を申請した。その年の春に慶応大学を卒業したばかりの高雄は、父・井川伊勢吉の言いつけで、更生法申請を決議する取締役会を傍聴した。その日から、高雄を駆り立ててきたのは会社存続の不安と恐怖。社長になった高雄はそれを「恐怖の経営」と呼んだ。

日経新聞記事抜粋終わり)


100億を超える使い込みで取締役を解任された長男。顧問に納まった井川高雄氏も創業家下ろしという形で責任を問われ大王製紙はお家騒動になっている。


いったん潰れた会社を業界3位のゆるぎない地位まで押し上げた経営手腕とその父・井川伊勢吉の雪辱を果たした実績は賞賛にあたいする。『恐怖の経営』とは危機感に突き動かされてきた経営だったのだろう。見方によっては優秀な父と馬鹿息子の構図となる井川高雄氏とその長男だが。個人的に『恐怖の経営』を息子に託すのは無理があったと私はおもう。学生時代から長男に高級クラブ通いを奨励し、その飲み代も払っていたという。『危機感』を学ばせる必要がある社長候補の長男にそれは正しい教育だったのだろうか?


それに、恐怖、妬み、嫉妬、怒りの類の感情は継承しづらい。そもそも年中怒っていたり、恐怖を感じる事は人間には不可能だからだ。そんな状況下に置かれた人間が壊れるのは想像に難くない。井川高雄氏が『恐怖の経営』と言い放った『危機管理経営法』は受け継ぐ経営手法ではなかったと思う。『恐怖の経営』を体験し、習得し、体現した高雄氏が本当に長男へ継承しなくてはいけなかったのは高雄氏が体得した以上の次の経営ビジョンの『何か』ではなかったのだろうか。

それが、初代・井川伊勢吉氏の最後の言葉がヒントになっていると思う。井川伊勢吉氏は自分の会社が成長し、簡単に終わりを迎える事を『恐怖』というキーワードで高雄氏へ教訓とした。ならば高雄氏は『恐怖の経営』を体得して次の高みに長男を向かわせる事が出来なければいずれ会社は消えてなくなると覚悟すべきではなかったのだろか。


3代目が成功するかし無いかは初代の想いをどれだけ3代目に叩き込めるかであり、それは師弟にも似た魂のぶつかり合いの中でしか作り上げられないのではないだろうか。結局大王製紙二代目が初代から学んだものが完全でなく、3代目に継承できなかった事が根底にあるのだと思う。