トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

政治家のプロ意識

マクドナルド現社長原田泳幸氏曰く。

尖閣問題などを見るとつくづく政治家にプロ意識が欠如していると感じます。

 国際問題というのはこちらの論理だけで考え、情報発信しても解決できません。「石原慎太郎東京都知事が動いたから、国として対応しました」というのは国内だけで通じるロジックです。

 相手が何を考え、どんな言葉を発したのか、その言葉の裏側にはどんな事情が潜んでいるのかを踏まえ、行動する必要があります。政治家が「一歩も譲れない」などと話していますが、それでは会話が成立しない。会話もせず、お互いの正義をぶつけあうだけでは国際問題は解決しませんからね。

 暴動は許されません。ですが、イオンや平和堂の店が破壊された映像だけを見て全体の動きと見るのは危険です。今回の尖閣問題は言葉の交通事故のような側面があります。相手には日本の立場を伝えたと言っていますが、伝わらなかったらどうしようもない。一方的に「メール送りました」と言っているのと同じですよ。

 その意味で日本の政治家の行動に疑問を持ちます。国有化によってどんな影響が起こるのか、どこまで計算したのでしょうか。結果的に日中関係は悪化したわけで、日本経済にも影響しています。その責任はどこにあるのでしょう。』


との事。


同感。いや、プロならば良い悪いを超越して事に臨めという部分ではなくて、どんな行動にも脊髄反射でも無い限りそこには何か『意思』が働くって部分が。


最近、やっとここを意識する事ができるようになってきた。前は人の考えている事が大体解るので、その人が発言しようとする内容を先に言ったりして反感を良く買った。だから言うのを辞めた。自分だけ解っていれば良いのだから。仕事をする上で観察していると人が次にする行動はたいていの場合読める。それこそ良く関わる人に関しては歩いている足音や言葉の抑揚でその日の体調が判断できるくらい良く解る。


でも、だからと言ってそれをいちいち言葉にするのをだいぶ前から辞めた。それは自分のある種の才能なので、訓練して出来るようになった事じゃないから、その使い方は良く解らなかった。今は少し違う。人間のやることには必ず『意図』がある。それは無意識だとしてもしっかり、働く。これは理解し難いことかもしれないが、自我とは意識があろうと無かろうと常に頭に巡り続ける。これを停止するのはほぼ不可能。釈迦なんかはこれを『悪魔』に例えた時期もあったみたい。


だからその行動には必ず無意識でも意識しても『意味』が存在する。逆に言えば意味を手に取るように利用できる人からはその人物は心の中まで見通せるという事になる。その意思を読み取るという行動において、原田泳幸氏の言っている事が腑に落ちたと思った。最近、相手の意図を先読みして、仕事が出来ないものかと自分の才能を生かす事を考え始めた。