ビートたけしがオタクについて語った記事が出ていた。以下抜粋。
オタクって言うのをおいらなりに考えてた事があって。
オタクっていうのは「気持ち悪い」という差別を自覚していて、だからこそオタク文化というものを生み出してきたんだと思うんだよな。
いつもおいらが言っている「振り子理論」と近いんだけども、つまり、「気持ち悪い」という振れ幅が大きくなればなるほど、
その対極にあるおもしろさというものも大きくなる。
笑いについても同じなんだけど「普通」ほどつまらないものはないんだよね。笑いって「違い」から生まれる。
言ってみりゃ普通じゃない、つまり「気持ち悪い」ということだって「違い」になる訳だから結果おもしろいものになる可能性を秘めていた訳だ。
でも今のオタクはそうじゃないね。
この前のニコニコでも感じたけどイナゴだね。ニュースでも取り上げるコスプレしてる連中もそう。
みんな右へ倣えで北朝鮮のマスゲームみたいに同じことやって同じこと言うのが楽しいみたいだもん。
ありゃ駄目だね。
おいらも笑いをやってる事をステータスにしたことなんてない。笑いなんて病気になったヤツがやるもの。笑いにとりつかれたバカな病人がやる。
オタクも同じだと思ってシンパシー感じてた部分もあったんだけど、今のオタクはコミュニケーションのためにオタクやってるだけなんだな。
しかもそれをステータスに感じてるらしい。まぬけだよな。
そんなオタクが増えたらこれからどんどんつまんないものいっぱい作るんじゃないかっていう危機感はあるよね、きっと多分業界の中の人。
だけどまた難しい問題がここで立ちあがる。
これは映画にも通じるんだけど、客を放り投げて自分のやりたいことつき詰め過ぎると今度はお金なくなっちゃう。
オフィス北野なんて映画コケたら大変だぜ?吉本みたいにはいかない。
まぁ、いいバランスでいきたいもんだね。
まぁ、その通りなんですが。最近のオタクカルチャーに違和感を感じていたのはそう言う訳かと納得してしまった次第。