トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

高学歴の固定

野良ブログを読んでいたら面白いのを見つけたので貼り付けます。

この人、自分と同じ高校の出身だろうか。少なくとも高校に関して書いてあることは全部一致しているので、似たような環境で育ったことは間違いない。高校時代は学年最下位クラスの落ちこぼれだったが、東大・京大クラスの大学には入れた。大学でやった予備校のバイトで、「MARCHは夢」という世界を目の当たりにして驚いたところまで一致している。

昔、高卒で派遣社員の彼女と付き合った。お互いにグルメ好きだったので意気投合し、バラエティ番組とか、お笑い芸人とか、密度の濃い友人関係とか、今まで全く知らなかった世界に驚き、毎日のできごとの一つ一つが新鮮だった。が、まじめに結婚を考える段になると、子供の教育とか、未来像が全く描けなかった。

結局、その彼女と別れて、同じような学歴の今の妻と結婚した。それまで彼女とは学歴のことなど問題になったことがなかったけれど、あらためてそのことを指摘されて複雑な気持ちになった。それでも、子供の教育方針では良くぶつかる。今から考えても、高卒の彼女と結婚することは考えなくて良かったと思う。

上のリンク先の記事を書いた人との、考え方の違いの最大の原因は、学歴に対する見方の違いだと思う。おそらく、自分の能力に本当に自信がある人間は、学歴をあってもなくても良いものだと思っている。未来には無限の可能性があると信じていた大学時代の自分もそう思っていた。

ただ、実際働いてみると、学歴がないと、高度な仕事を与えられる機会が激減するということがわかった。学歴があるから、仕事の機会が与えられ、成長することで、次の仕事の機会が与えられる。大学卒業/大学院修了直後から、このサイクルを高回転させられる人と、下積みから初めて、ふるいにかけられ、それで初めて高度な仕事が与えられる人とでは、10年後20年後のキャリアの違いは歴然としている。卓越したコミュニケーション力+技術力 or 体力でもあれば別だが、そうではない自分のような一般人は資格とか学歴に頼るしかない。特に自分の業界では取得困難な資格はなく、プロジェクトの効率が、「一番頭の悪いメンバー」に依存することから、採用側から見ても、学歴は非常に重要だ。

MARCHも難しいと考えている子供の前で、「東大なんか入って当たり前」と言い放って、子供を追い込んでしまうような親にはなりたくないけれど、自分と似て、ちょっぴりコミュニケーションが苦手であろう子供には、それを克服して、グローバル社会を楽しむ方法を見つけてほしいと思っている。新興国の労働者と競争しつつ、上司に媚びず、客に媚びず、体を壊すこともなく、自分の成長を感じつつ、楽しく仕事をするための、有力な方法が、学歴だし、少なくとも自分はそうだったわけだから、結婚相手の学歴は無視できない。大学生の自分には、こんなことは理解できなかっと思うけれど、今はそう思っている。

これ孔子も同じような事言っているよね。『勉強に打ち込める環境があったらバイトなんぞする必要はない』孔子はスタートが貧乏だったからいろいろとアルバイトしていたから後輩達にはそんな苦労させたくなかったのだろうけれど。ある意味正しいのかもしれない。高学歴を道具と捉えてそこに依存するなら戦略として正しい事だと思う。

でもそれじゃあ『私』の人生としては詰まらない。結果、人生大失敗だったとしてもこれもありだよな『俺的に』と笑って死ぬ逝くならば私はそれで満足だ。自身の使命を自覚し、出世の本懐を果たせればどこの階層世界の住人だろうと私にはあまり意味が無い。