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死んだように生きる
今日生まれて初めて、自殺未遂をした。
といっても、ネクタイで輪を作ってその中に首を入れる程度の簡単なものだが。
成功確率が高く、他の方法に比べて最も痛みが少ないという情報から首吊りを選んだ。
しかし、思っていたより結構苦しくて、目の前に火花が散るくらいの早い段階でやめた。
「死ぬ」という事を身体が本能的に拒絶していると感じた。
結局自殺が成功するかどうかは、勢いがすべてだと思う。
少しでも、「あれはどうけりをつけるか?」だとか、
親しかった人を思い出してしまうと無理だ。
人との繋がりを作るのは苦手だ。
人間は、これができるかどうかで、幸福な人生を送れるか否かの大半が決まると思う。
そして私は、これが本当に苦手だ。
私は比較的高学歴といわれる部類に入る大学を卒業し、上場企業に入社した。
そこで行われる理不尽な事の数々に愛想を尽かし、退職した。
そして、後悔した。
もっと引き止めて貰えると思った。
それこそ、自殺する素振りをしたら、
お願いだからそんなことはよせ、お前は必要な人なんだ、
と言ってくれるものだと思っていたら、
驚く位簡単に、社会的に死ぬことができた。
私にとっての輝かしい人生は、もう終わってしまった。
後は味気の無い残滓を舐めながら這いつくばって生きるか、
自分より辛い環境に耐えて踏ん張っている人達に敬意を抱きながら、
寿命よりたった数十年程早く命を絶つかのどちらかを選ぶしかない。
そして、命を絶つには、思い切りが足りなかった。
私は再び晴れ舞台に立つ事は無く、
寄る辺となる友人も所属集団も無い中、
自分ひとりが死に抗うためだけに、ひっそりと生きていくしかないのだ。
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お勉強はさぞ得意だったんでしょうね。そして理想も高かった。でも引き止めてもらえなかったのは申し訳ないけれどその程度の存在だったって事実です。もっと言ってしまえば『面倒くさい割りに使えないやつ』と思われていたのかもしれません。結局、サラリーマンだって起業家だって『理想』を追い求めてやろうとするなら『結果』を出し続けるしかありません。結果も伴わないのに理想だけ頑張る人はまず持って『信用』されません。信用されなければ使ってもらえませんから仕事が広がりません。広がらなければいつまでたっても理想は絵に描いた餅です。それで諦めたり、路線を変えたりするのも『本人』の自由です。
いろいろ考えてひっそりだろうと怠惰であろうと、『自分の意思で生きる』事ができる日本に生まれてよかったですね。紛争地域だったらそんなこと考える余裕も無いかも知れないし、独裁国家ならそんなこと考える事すら命に関わっていたかもしれませんから。