いざと言うときに細部まで自分でカバーできないなら、夫と二人でカバーできないなら、そんなの本来あるべき姿でもなければベストの状態でもなかったんだろうな、と。
ギリギリいっぱいのところで奮闘する自分に酔っていただけで、結局こどもたちのことを一番に考えることは出来ていなかったのかもしれない、と思うのです。
イレギュラーな事態が起こらないままだったら、夫婦だけで育て上げることもできるのかもしれない。
でも、病気や怪我、災害、親の不調や経済的なトラブル、いじめ等学校で起こる問題等、子どもたちや自分たちがいつどんなトラブルを起こすか巻き込まれるかは本当に分からなくて、それはやっぱり常に想定をしておかなくちゃいけないと改めて思いました。
そして、想定するだけじゃなく普段からできるだけ、気持ちよく周りに頼ったり頼られたりの関係を作っておくことが、もし問題が起こったときにそれを長引かせないようにしたり子どもたちの負担を減らしたりするためにも必要なんじゃないか、と。
実家が遠かったらそんなの無理、と思うかもしれないけど、例えば預けられる施設をあらかじめリサーチしておくとか、友達同士でそういう話をしてみるとかできることを少しずつでもいいと思う。
そうなったらどうしようか、と想定しておくだけでも違うと思う。
かつての私のように「頼らないのが筋」と思い込んでいる人も少なからずいるし、そういう声を思うと声高にこんなこと言えないと思うかもしれない。
だからこそ、こういうことを口にすることで少しでも多くの人が、周りを頼ろうとする親に対して寛容でいてくれるようになると良いなと思うのです。
『夫婦だけで育児なんかやっぱり無理ゲーでしたごめんなさい。』
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という題号のブログを見かけた。以下記事抜粋。
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甘えだといわれようと、情けないといわれようと、声を大にして言います。
夫婦だけで子どもを育て上げる前提で子育てするの、無理です。無謀です。
もし出来てる人がいたらそれ、すごい偶然でラッキーなことです。
だから、頼ってください。
頼られたら快く応じてください。
頼ろうとする人を寛容に見守ってください。
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この記事に共感する人は一定数いると思う。子供の事だけに関わらず、人と人とのかかわりが薄くなっている昨今においては一人が許容できる『マイナス事項』の許容限界が非常に狭い気がしてならない。夫婦然り、恋人しかり、親子しかり。いつもどこかで誰かが怒っている。そうしてないと自分がもたない感じがするのかもしれない。常に戦っていないと。もしくは常に闘争の中にいる戦しっぱなしという『常在戦場』の意識が高いのかもしれない。それは単体では決して悪い事では無いのかもしれないが、そのことでより窮屈になっている人もいる事を理解しないと。その人たちを受け入れ、感謝できるレベルならきっとその人は一段、上に成長してると言えるのかもしれない。
自分がそうなるとかそうなりたいとかいう話ではないけれど、少なくも余裕が無い人を励ます事ができる共戦の人で有り続けたい。