トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

恐らく一度本格的に倒れた人は同じ感覚を持つ。

躁うつ病ブラック企業、超絶激務。

そんなキーワードで括るといくつかのブログを見かける事が出来る。その中の一つを読んでいたら以下のめーっセージが出てきた。

無理をするなとは言わない。でも、その時に忘れないで欲しい。

「その無理は自分の力以上に続かないし、無理をしている自分はひょっとしたら病気や特殊な脳の構造(発達障害)のお陰でできてるだけ。自分の力以上に何かができた時は成長もしてるかもしれないが、まともじゃないキル・ゾーンに踏み込んでるかもしれない…」

と自分自身を疑う・省みることを忘れないで欲しい。

もちろん、体力を付けて無理ができるようにもすべきだ。

だが、何より自分・他人・その場の空気感など周りのことが「異常」である可能性を考慮し、それを判断する尺度や視野を持つ努力を怠ってはいけない。

おかしいと気づいたらバカにされるとか、メンツがどうとか、勝ち負けだとか…そういう見栄で判断を濁らせちゃいけない。

ベストや先行きも大事だけど、緊急時にはそれを無視してでも逃げる勇気・汚名をかぶる覚悟がないと、年単位で、ヘタしたら自分の一生を犠牲にすることだってある。


これは非常に共感する。恐らく一度職場で倒れた経験を持つ人は例外無くそう思っているのではなかろうか?『キル・ゾーンに踏み込んでるかもしれない』というくだりはまさに我が意を得たりで、その通りだと思う。戦闘態勢を通り超え狂戦士(バーサーカー)モードになっていると本当なら命の危険がある状態に突入していても本人が気が付かない。明らかに肉体的、精神的限界を超えているような働き方をしているのに『やれたようになってしまう』のだ。これが年を取っているとまだ肉体的限界がすぐに訪れるので気が付くことが有る。


若いと(20〜30代前半)気が付くのが遅れて帰ってこられない所まで届いてしまうことが有る(死亡もしくは再起不能)これが過労死の本質だと今でも私は思っている。繰り返しこのブログでも書き留めているが、過労死でなくなった方々はきっと『まさか自分が死ぬなんて』とつい死ぬ瞬間まで思っている人たちが少なからずいる。突発的に事故の様に急死するひと。突然自殺願望に苛まれる人。状況はそれこそ千差万別だろうと思う。


筆者が『緊急時にはそれを無視してでも逃げる勇気・汚名をかぶる覚悟がないと、年単位で、ヘタしたら自分の一生を犠牲にすることだってある。』と訴えた事。良くわかる。自分の命より重い仕事なんてお金を貰う仕事の中には一つもない。だってそれは究極を言ったら命を買える仕事って事でしょ?自分の命を切り売りして、本当は金銭に変えられない所を無理やり交換しているのが仕事だとすれば、本来命に代えても成し遂げなければいけないような『価値』のある仕事なんて無いと私は思う。


命がけでやって良い仕事とは金銭的価値を凌駕する仕事の部類だ。


だから自分がサラリーマンで利益の為にやる仕事ならそこは命を懸ける必要なんてないと思う。生きて帰ってきた人が間違い無く勝者だ。