読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

尊厳死について思う

医療ガバナンス委員会ってところが発行しているメールマガジンにエッセイストの方が尊厳死について書いていた。以下一部抜粋。

本当に長寿はめでたいものなのか? 私の91歳になる母は昨年脳梗塞を2回発してから認知が進み、毎日のように付き添う娘のことも分からない。あげくに、親身に接してくれる介護士さん達にひどい暴言や暴力をふるう。本人もつらいからだろうが、傍らで見ているだけの私も「これは母ではない」と無力感に苛まれる。正直「早く死んでくれ、死なせてやってくれ」と心の底では思っている。その方が本人や家族、そして世のためであると思うからだ。

そう言えば、この国には「姥捨て」という風習があったではないか。野辺送りや里山といった言葉もこの風習に由来する。あれはその家の食い扶持を減らすのが目的だったのだろうから、国全体の食い扶持が減ってきた今こそ、姥捨ての風習を学んでもいい。現代となっては裏山では問題も多かろうから、こうした「国体を治療」できるのは医師だけだ。

自分の命の行く末を、自分で決める選択権を持ちたい。国は今すぐ全国民に、延命治療受否の選択を義務付ける。加えて、安楽死も病気のみを対象として認める。国民多くの合意と同時に医療者にも相当の覚悟と心のケアが必要になるが、こうしたことを早く法制化して実施しないと、社会システム全体がゆっくりと機能不全になる。最近これをスローバイオレンスというらしい。

にもかかわらず、老人票を1票でも欲しい政治家は「命は地球よりも重い」などと嘯く。「持ったことがあるのか?」と聞いてみたい。私は地球の命の方が心配だ。

こういった論議が出てくると、尊厳死は認められるべきだ派と現実を見つめろ!当事者でもないくせに派に分かれて血みどろの論争に発展する。これ、医者は現場で本当につらい選択を毎日連続で行っているので想像を絶する心理ストレスに苛まれているから仕方ないと思う。

その辛い所から絞りり出した意見としては尊厳死に理解を示したいが、私はそういった極限に現場を追い込んでしまった事が改善されるべき問題だと思う。

医師は命を救うのを仕事としている。その医師がが本人の想いだったとしても自死を助ける尊厳死を能動的に行うなんて何とも思わない訳がない。ブラックジャックのキリコみたいなもんだ。

エッセイに出てる91歳のおばあさんの様になってもサポートして死んでくれなんて思われずに生涯を終えられる生き方を提供できる仕組みを作り上げるのが本道だと思う。それは簡単では無いし、お金も人もいる事だ。でも、だからと言って安易に尊厳死を認める方向へ進むことはある意味医療の敗北ではなかろうか。医療を医者の、医療従事者の専売特許として良く調べも、学びも、しなかった一般の我々の責任として受け止める事がまず必要だと思う。その上でこれらの問題を何とかするにはそれこそ政治と司法に力を借りて、主権者たる我ら国民が要望を伝え、国の有り様を変えようと『声』を上げる事が必要不可欠なのではなかろうか。