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TV番組のコメントの話

鶴瓶さんは現在国会で議論されている安保法案について言及し「戦争放棄というのは(憲法の)うたい文句。憲法9条はいごいたら(動かしたら)あかんと思うんです」とコメント。「だいぶアメリカに乗せられて、後方支援、後方支援と言っているけれど、せんでええねん。なんもせんでええ。したらあかん。したら、したという事実が残りますよ。絶対ダメなんです」と述べ、「今の政府があういう方向に行ってしまうのを、止めなくてはダメ」と主張した。

鶴瓶さんの言われること、気持ちは理解できるところがあります。憲法9条を動かすなという意味はその通りだと思います。でもだからこそ、行動の指針として『新三要件』を定めたのだと私は理解しています。政府が時の政権によって暴走しないように、厳格にその行動の範囲を定めた。定めた範囲において『法制化』して自衛隊をはじめとする国の資源を投下できるように仕組みをつくろうってのが今の国会で話し合われている内容だと思います。その後鶴瓶さんは続けます。(以下引用)


鶴瓶さんは、自身がお笑いの仕事を大事にしていることもあり、本流ではない政治の話は放送の場ではしなかったとの考えを告白。しかし、憲法解釈の変更は「絶対したらあかんと思っている」と明かした。「『どたま悪いのにそんなことぬかしやがって』と怒る人もおるやろけど」としながらも、「このまま進んでいったらえらいことになりますよ。僕らは微力ですけど、違うっていうのは言い続けないとあかん。民主主義で決めるんなら、違憲という人がこんなに多いんなら、多い方を取るべき」と強く訴えた。

これもその通り。政治を監視するのは国民の役目です。だって主権者だから。主権者がボケーっとしていたら政治家は自分の都合の良いように『嘘』をつきます。主権者の権力は絶大ですから、逃げ道を作り、誤魔化しをろうし、自らの権力を縛り付ける憲法に穴を開け様と頑張ります。

だから、憲法解釈を簡単に変えてはならないと私は考えます。ただ、鶴瓶さんの主張は気持ちとして受け止めるに十分な気はしますが、では『多数派』の意見が必ずしも正しいのでしょうか?例えばナチスドイツを考えれば当時のドイツはヒトラー率いるナチ党が権力を掌握することを選びました。選挙で勝ったからです。これも多数決です。その後、民主主義から独裁主義に移行し、そこで国民は気がつきますが、後の祭りだった訳です。

恐らく、当時のドイツ主権民にはナチ党の危うさを説き、権力を集中させることを『危険視』して警鐘を鳴らした人達が少なかったでしょうが居たはずです。でも『多数派』出ないがために蔑ろにされた。だからこそその後の悲劇を食い止められなかったのだと推察します。

さて、学者が反対と言っているから、国民の大勢が反対しているっぽいから、だから反対という鶴瓶さんその意見は正しいと言い切れますか?では国際社会で日本の立場を考えたとき、反対して法制化を見送った後、どうやって日本に今まで通りの安定と国際社会への貢献責任を果たしますか?

翻って、もしも有事が日本に起きたとき、自国だけで守りきれますか?また仕掛けてこようと余計な考えを生まないためにどういった有効な手立てを考えますか?

大事な問題ですから、論議を深めることは非常に大切です。ですが、ただただ否定するだけでは先は望めません。戦争の体験世代が居なくなった先も日本はあり続けます。有り様を歪めることなく、将来にわたって、つなぐ為にも感情論ではなく、実りのある論議になって結論が出るように今国会を有権者は注視してゆくことだと思います。その上で、疑問や要求があれば主張すべきです。デモや集会の形もあるでしょう。自分が投票した議員に直接意見をぶつけて国会へ持っていってもらっても言いでしょう。やり方は色々あるはずです。

ただ、私は今を踏まえて将来を考えない意見には賛同できません。ましてや、選挙に行かない人の意見は聞く耳を持てません。