トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

参議院選2016

選挙の度に色々書いている気がするが、今回はよく言われている『誰に投票しても同じ論』について話したい。

 

そもそもこの話は荒唐無稽で無責任な有権者が良く使う良い訳だと私は思っている。

 

1.投票に行っても変わらないと言うのは一体何について変わらないのか定義が曖昧。

 

2.有権者の利益代表が議員なのだから、その意思が政策や方針に反映される以上、まったく変化が起きないこと自体が不自然。

 

3.悪い方になるに決まって居るからそういう意味で一定。というのはそもそも良くなる選択肢を放棄していると考えられるので変わらないと言うのはあまりにも短絡的。

 

1.について。

そもそも何が変わらないのだろう?その人にとっての感覚か?政治が変わってない気がするからと言う事か?確かに政治不信は続いているし、改善している様子も良くわかりにくいのかもしれない。だが、先の民主党政権で実際の暮らしはどうなった?果たしてよくも悪くもならなかったろうか?変わらないとはそういう事だろう。でも、大抵の有権者は確実に悪くなったと思っているのではなかろうか?その前の小泉政権をはじめとする長期自民政権はどうだったか?派遣切りの元になった労働者派遣法が変わったのはその時代だ。投票権を行使せず、自分の意思を反映しなかったもしくは良く考えずに雰囲気で投票したおかげで民主政権は誕生し、国が傾いたのは想像に難くない。はっきり言おう。

 

有権者のそんな『誰でも同じ』という甘い認識がこの崩壊の手助けをしたんだよ!

 

変わらないのではない。変えようとしていない。もしくは変えようとする政治家を選ばない見つけない有権者がそのままブーメラン食らっているだけだ。

 

2.について。

 

1.の結論で解って頂ける部分もあるかと思いますが。シルバーデモクラシーと言われる昨今、若い世代の意見は選挙に行っても、爺さんば婆さん世代にかなわないと言う人が居る。

 

はっきり言おう。

 

バカも休み休み言え!

 

そもそも20代、30代の投票率は50%に遠く及ばない。片や60代、70代の投票率は70%に迫る。ただでさえ人口ベースで負けているのに投票率でも大きく水をあけられてはそもそも勝負にならない。ただ、打開の方法はある。現在の選挙制度小選挙区比例代表並立制だ。小選挙区の特徴は死に票が多くなる事。一票でも一位の候補が多ければ当選。一票差でも落選。つまり、落ちた候補に入った票は死に票となり、政策の意思決定には加われない票となる。逆に言えば投票率が高いが、思想が割れて分散されやすいシルバー世代に対し、若者世代は若者向きな政策を掲げる政治家がごく少数だからそこへ集中的に票を集約すれば逆転の目がある。しかも低投票率と言う事は行く人間が多くなればなるほどその可能性は広がると言う事だ。若者に取って良い変化を期待するなら、選挙に行くべきだ。

 

3.については弁を待たない。1.2.でご理解いただけるだろう。私は大筋こういった意見を持っているので選挙に行かない人を信用できない。自分の意見を投票行動として意思表示しないと言う事は良くも悪くも、自分が住んでいる国の行く末を放棄し、興味を持っていないと思うから。政治に絶望するなら、白票を投じるべきだし、年齢によっては意見の代弁者として自分が候補に立候補したって良い。国や自治体に不平不満をのべる暇があるなら、選挙に行って投票して主権を行使すべきだ。したり顔でそれすらしない人たちを私はどうしても信用できない。立法府は国会だ。法律を決めるのは選挙で選ばれた議員だ。議員を選んだのは投票した国民だ。

 

舛添都知事だって東京都民の意思で選ばれた。選んだあとで文句を言いすぎるのは選び方が甘かったからだろう?まあ他に選択肢が無かったにせよ選んだ責任は結局有権者にあるのだから、その大事な選挙に行かない人は信用できない。