トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

誰も書かないから、中国広州の洪水の事、書くよ。

(中国通信社発情報)

広東で豪雨、12人死亡

(中国通信=東京)広州8日発新華社電によると、中国広東内の複数の地区が豪雨から大豪雨、局地的に特に大きい豪雨に見舞われ、すでに12人が死亡、3人が行方不明になり、6700戸の家屋が倒壊、直接の経済損失が10億5200万元(1元=約13円)に上っていることが最新のデータで明らかになった。

広東省水文局のまとめによると、5日から、広東内を強い降雨帯が北から南へ進み、広州、韶関、清遠各市などで相次いで豪雨から大豪雨、局地的に特に大きい豪雨が降り、65の観測点の総雨量が100ミリを超えた。

広東省災害対策本部によると、強い降雨帯がたえず南下したため、省内の被害は一段と拡大した。初歩的集計によると、今回の強い降雨によって、広州、韶関、清遠など6市の28県(市、区)、238郷(鎮)が程度の差こそあれ、洪水、冠水に見舞われた。農作物の被災面積は5万8020ヘクタール、家屋の倒壊は6700戸、被災人口は87万5300人、避難者は6万7500人で、12人が死亡、3人が行方不明になった。直接的経済損失は10億5200万元で、うち水利施設の直接の被害は2億2700万元に上った。被害状況はさらに、集計、確認中。

水文実録資料によると、省内の複数の観測点で20年に一度、50年に一度という降雨量がみられた。5月6日午前8時から7日午前6時までの間に、広州市花都区雅瑶鎮の鎮政府は50年に一度という216・5ミリの降雨を記録した。恵州市博羅県、韶関市翁源県などの一部でも、50年に一度という特に大きい豪雨を記録した。

広東省災害対策本部によると、省内の北江、東江、韓江の水文管理所の水位、流量はいずれもめだって上昇した。なかでも北江上流のオウ(さんずいに翁)江支流では7日未明3時、101・48メートルの洪水ピークが現れた。1964年以降最大の洪水で、30年に一度というものだった。

また豪雨によって、広州市の広い範囲が浸水し、多くの居住地が水に浸かった。

 

地元記事の翻訳文まんま掲載。

これ、私が住んでる地域です。つうか、一番被害が大きかったところです。

 

レスキュー隊が救援物資積んでやってきました。

 

それを近くによって、写真撮ってたら・・・。

 

『こっちは仕事でやってんだよ!邪魔だから、とっとと下がれ!』

『あぶねーんだよ!!』

 

とレスキュー隊のお兄様に中国語で怒鳴られてしまった。

 

すいません・・・。

 

まあ、そのくらい大変な状況だったのよ。

 

私の住んでいる高級マンション群は水害の多い、広州の地域性を理解していて山の上なので、びくともしてなかったですが、城下町は水没してた。

 

これが格差ってやつだよねって如実に感じたな。

 

中国は共産主義だが、金持ちと貧乏人の差はもう熾烈を極める。

 

日本の本社に籍を置く外国人枠じゃなかったら、私は間違いなく一緒に水に沈んでただろうね。特別枠の特別待遇だから、住んでいられる安全地帯だった訳だから。