トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

サンタクロースがいるか居ないか?

Web記事を流し読みしていたら、『サンタクロースはいないという話を授業中にしたところ、小学生がショックを受けたというクレームが親御さんから来たので、今後は注意してください。』と注意されたというトピックから始まる記事を見かけた。

 

もうね。

 

こういう話が昨今の日本には多すぎる。

 

 

どうでもいいんだよ!そんなこたぁ!

 

 

である。

 

サンタが居ようがいまいが、学校教育には関係御座いません。それでクレームを入れる親の見識を疑います。どうしてもサンタが居た事にしたい親はそれこそ、教師が居ないと主張したならそれを打ち消す『絶対いる!』という反証をすればいい。それに子供が納得すれば、子供の中ではサンタは実在するんだよ!

 

それを親が合理的に出来ないからと言って、大人である先生に苦情を言うのはフェアじゃない!

 

学校の本分は勉強だ。これは誰も反対しないだろう。それ以外は、いわゆる基礎的な道徳に反しない限りどうでもいいのだ。体罰だって、程度をわきまえれば『躾』なんでしょう?日本語って便利。

 

その辺が日本語の曖昧さと相まって、親ごとに認識がずれてるから、こういう苦情が学校に来るし、なりたってしまう。まったくアホらしい。子供がジャッジするんだよ。自分の子供を見てみろ!仮面ライダーを本気で実在すると思っている子供が実際に何人いるよ。信じ切ってる子供なんざ意外に少ないぜ?

 

それで、サンタクロースが居ない事を教師が言ったくらいで、落ち込んでいる子供はその程度の家庭指導しか出来て無い親の子と言うだけ。こういう親に限って、自分の統率力の無さを先生や学校のせいにしようとするから始末に悪い。

 

他人の受け売りだが、私は『親は無くても子は育つ』では無く。『親は有っても、子は育つ』と思っている。

 

親がいないで、子が育つのはあったりまえだ。育たなきゃ、死んじゃうから。それが有利か不利か、正しいか間違っているかは置いといて、育つ、育たないでみたら、親何かいない方がしぶとく育つ。

 

いるから、余計な情報が雑音になって、しぶとく育とうとする本源的な本能を妨げて、無駄なこと考える子供を育たせるのだ。だから、親がいても、しっかり育つこともは才能のある優秀な子なんだよ。

 

大体、学校にクレーム入れるような親はクレームの種類にもよるが、ろくなもんじゃない。いじめは別だよ。第三者がいないと絶対正常な解決は図れないから。でもサンタは自分の子供にプレゼンすれば済む話だ。別段犯罪でも何でもない。いじめは刑事事件化するでしょ?刑事で決着つかなきゃ、民事ですら、責任取らせるでしょ?そういった事件性のあるものは第三者がいないと決着つかない。良い悪いは別にして。これを当事者同士だけで決着を図ったら、必殺仕事人の世界になっちゃうでしょ?警察やら、弁護士やら第三者がはいるから、法律でむりやり決着できるんです。

 

だから、サンタがいようが、いまいが、学校教育にはなんら関係御座いません。関係ないのだから、クレームはお門違い。むしろ親の低レベルを晒すような恥ずかしい真似は、親としてどうかと思う。私がその子供の立場だったら、恥ずかしいは。

 

ちなみに、私のサンタクロースは4歳の時にいなくなりました。

 

父親に聞いたんです。『みんなはサンタクロースがいるというのだけど、サンタさんって本当にいるの?』

 

父『いねーよそんなもん!(笑)いる訳ないじゃん!だって考えてみ?誰が全世界の子供にタダでおもちゃ配るんだよ。そんな金持ちいねーだろ(笑)』

 

私『だよね~!あーすっきりした。』

 

私の疑問はすっかり晴れた(笑)

 

次の日から、サンタを信じないクソガキとして、幼稚園でいじめられるのはまた別のお話。さすがに5対1とか、6対1とかで子供とはいえ殴り合いの喧嘩すると先生も助けてくれるのねと学んだ。2対1だって勝てないのに5人以上相手に勝利するなんてファンタジーでしょ?

 

自分が幼年期から異端だったのは自覚があるけど、袋叩きはつらかったな。子どもって残酷だから本当にTVで見たような殴るけるするのよ?お蔭でどこをどう殴ると効果的で痛いのか良く解ったよ。自分の身をもって(笑)

 

でも、自分が正しいと思ったことは曲げない子供だったので大抵のイベントは割りを食った覚えしかないなぁ。成人して、大学生くらいになるまで。