トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

介護離職は選択肢に入れない!

「40代を過ぎてからハローワークで求職しても見合った職はみつからない。会社を辞めるといずれ後悔する」

こう語るのは、高野昭博さん(61歳)。任意団体「反貧困ネットワーク埼玉」(さいたま市浦和区)などで、生活困窮者に相談を行っている。高野さん自身、親の介護で財産が尽きてホームレスにまでなった経験を持つ。

高野さんは高校卒業後、大手百貨店で正社員として働き、管理職になってからの年収は1200万円。休日にはスキーに没頭するという絵に描いたような独身貴族。その生活が一変したのは、咽頭がんを患う父の面倒を見るために介護離職をしたことがきっかけだった。

「母は病弱、6歳年上の兄は両親と折り合いが悪く家に寄りつかなかったから誰にも頼れなかった。親と同居していた自分が見るしかないと思い込んでしまいました。離職しないで済むようにさまざまな制度を使い倒せばよかったんですが、そこまで気がまわりませんでした」(高野さん)

かなり悩んだ末に離職を決意。ちょうどその頃、百貨店では早期退職を募っていて、流れに乗ってしまったという。ところが、退職して2週間後に父が他界。26年勤めた会社の退職金と預貯金を合わせて2000万円以上が手元に残った。

精一杯の親孝行のつもりで葬儀を執り行い、お墓を建てた。その費用は合わせて850万円。母の介護がはじまってからも想定外の出費は続いた。母は認知症の症状が出はじめ、高野さんが知らないところで、訪問販売などで布団やネックレスなど高額な商品を買い込んでいたのだ。

 

 

週刊東洋経済より。

 

介護離職が社会問題として騒がれてからしばらくたつが、そもそも離職してしまっては経済活動の源泉である収入が絶たれてしまうため、困窮するのは目に見てている。ただ、業界や業務によっては休む事も難しいため、恐らくは『介護離職』なんて言葉が生み出されたのだろう。

この間介護離職では社会問題化する過程でその『損失面』が浮き彫りにされ、休職できるように職場環境を改善しよう的な話が多かったが、それだけでは恐らく足りない。

 

想像力が欠如しているのだ。

 

介護はそもそも、介護職という専門家がいる業界が存在していて、そのプロですら食えない状況が続いて久しい。という事は、休職しようが、退職しようが、そもそも専門のプロですら、こなすのが難しい仕事を素人がちょっと頑張ったくらいでは何ともならんのだ。

 

その発想に立って、プロの助力を借りやすくして、金を稼ぐ人たちとプロフェッショナルとの橋渡しを考えた方が、恐らく効率がいいはずだ。つまり、ベビーシッターの老人介護版。介護関連の機器・設備はだいぶ開発されてきているはずなので、一般化される機器、設備に関しては保険適用で貸し出しや周辺地自体での買い上げ貸与的なシステムを導入できないだろうか?

 

費用は会社を使って、介護ケア施設に任せるのではなく、フリーエージェント制にして有能な介護職とのマッチングのみに徹する業者を作る。そうすれば費用は個々の応相談となり、こなす件数次第で個々に介護職が食っていける市場が形成できるはず。

 

そうなった場合、劣悪なサービスの介護施設は当然駆逐される。

 

介護施設、介護業界の再編が行える。

 

私が注目したいのは介護職の人は仕事として、介護を精一杯やりたいという意識の高い人たちが少なからずいるという所。その人達は『職業意識』を搾取され、不当に安く辛い労働を強いられている。業界の問題はそこが根深い。これをフリーエージェント化する部分を導入するだけで、意識も技能もの高いオペレーターを食っていけて利益も出る存在への変えられる可能性を作り出せるかもしれない。

 

今、介護補助サイボーグ技術も発達しているが、全身に仕える外部骨格型のパワードスーツは一台1千万円から比較的安価なタイプでも、数百万円と高い。

 

これも保険対象に組み込んで安く量産できるようにして、個々の介護士が使える様にレンタルしてやれば良いと思う。根底から介護に関わる人手を変えるのだ。個人の介護士が弁護士や税理士の様に『士業』として成り立ってしまうようなシステムを目指して構築する。

 

ここまで特化すれば、特異な学歴や才能が無くても、介護士になって、食っていこうとする若者が増える。ポイントはそこで、自由競争と食っていけるし、面白そうという期待感を作り出す事。どうせ消費税を上げて、介護や社会保障に金がかかるなら面白みの有る改革を進め、それが、他の業界へ売り上げを伸ばす関わりになるような繋がりを生み出すような仕組み作りにして行けば良い。