トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

シルバーシートの事。

夫婦の女性は障害者で杖をついている。夫がドアに一番近いスマホの若者に「すみません、長い時間立っていられない身なのです、譲っていただけませんか?」と申し訳なさそうに言った。するとスマホ男は「オレだって疲れてんだ!」と大声を上げた。周りの乗客が一斉に注目したから、それほどの大声でけんか腰だった。それでもスマホ男はガンとして席を譲ろうとはしない。他の優先席のスマホに夢中の「健常者」もしかりである。

実はこの出来事は、わが家族のことである。妻は脳梗塞の後遺症で左手と腰にマヒが残り、歩けるのだが長時間立っていることはできない。身体障害者手帳も所持している。スマホ男は周りの視線を気にしながら千歳烏山で席を立った。私の家内はその後に座り、黙って下を向いたままだった。冷たい世の中というより、ひどい世の中になったものだと思った。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

これもうね。日本特有の問題だと思う。

 

一般的な日本人って、中国人の事をモラルの低い結構自分勝手な人たちだと思っているでしょ?そう言う人たちも一定数いる事は事実。ただ、これは中国に実際住んで仕事をしている私から言わせると、一側面でしかない。真実の姿ではない。

 

中国はそもそも、儒教思想が根付いている国だ。親、兄弟親族が最優先。その中でも年長者の発言がもっとも大事とされる。近年の近代化で変わりつつある面もあるが、根本的には変わってない。

 

つまり、

 

シルバーシートの様な物があると中国人の若い世代、60歳以下位なら必ず席を譲る。譲られたお年寄りは素直に受けることが多い。これは上海などの大都市圏でもかなりの確率で確実に起こる現象だ。実際何度も私は目にしている。

 

面白いのは添乗員が居て、添乗員が券売している公共バスがあるのだが、このバスの場合、バスの添乗員が若い子がシルバーシートに座っていると『どけアホ!あんた若いんだから立ちなさい!』と丁寧にお願いして(笑)どかした後、お年寄りを座らせる。

 

文句もあろうが、そのようにどかされた側は表立って文句は言わない。なぜならば儒教思想において年長者を優遇するのは当たり前で、それに異を唱える事は所謂『世間に盾突く』ような図式になる。

 

だから、いう事を聞くのだ。

 

譲って欲しいと頼まれてそれに怒りを露にするのは日本位だ。

 

バリアフリーやLOVEが至上命題になっているキリスト教圏のヨーロッパや欧米なんかはそうする事が、当たり前になっている。事、これに関しては無宗教であることがかっこいいという間違った見識が一般的になっている日本が一番遅れているだろう。

 

国際的にみて、無宗教であるというアピールは過去の日記でも何度か書いたが、『私は何も根幹になる判断基準を持ちません!』と宣言しているようなもので、ただのバカだと海外勢からは思われる。

 

だから、『貴方の信ずる宗教はなんですか?』ともし聞かれたら、『武士道です』とても答える方がまだマシだ。実際、新渡戸稲造が『武士道』を著作したのはそのためだから。新渡戸稲造は日本人が特別宗教を信仰していなくても、日本人なら武士道的な道徳観で動いているよね?と思い立って、一般的な日本人はこういう感じよ?と『武士道』をまとめたのだ。

 

ちょっと話がそれたけど。

 

だから、シルバーシートにい於いては、いずれ自分もお年寄りになるのだから、たとえ疲れていようが何だろうが、1歳でも若い者の矜持として、意地を張ってでも、見得を切って席を立ちたいと思う。

 

その方がよっぽどカッコいい!

 

江戸っ子が言う『粋』なんてものは痩せ我慢の産物だ。でもカッコいいだろ?(笑)

 

そういう粋の良さは日本人特有の良さなのだから、捨てたくないし、むしろ自分が疲れ切って具合が悪い時こそ、一歩踏み込んで、『どうぞお座りください』と席を譲りたい。これは儒教思想でもなく、キリスト教でもなく、日本特有の道徳観、『武士道』によるところだと、見栄を切ってやりたいじゃないですか(笑)

 

まあ、私は仏教徒なので、武士道なんぞなくとも、席は譲るのですが・・・。

 

中国でもそうしているしね。

 

御後が宜しいようで、チャンちゃん。