大学を減らす仕組みを作ることのほうが、今後の人口減少社会を考えたとき、はるかに建設的と言える。
そもそも、私立大学という私的な組織に多額の税金が使われていることには、以前から憲法89条の「税金を私的企業や団体に交付することを禁止する規定」に違反しているのではないかという指摘があった。教育機関だから特別扱いすることで、これまでスルーされてきたのだが、国際的に低いランクに甘んじている日本の大学の現状を考えると、助成金制度が功を奏しているとも思えない。
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週刊東洋経済記事より。
私大の再編について語られた記事の最後の部分。
元々、私は私大の再編を早めるためにまずは国が直接影響力を持つ、国立大学の再編を急ぐべきとの考え方だったが、こうなると、私大再編も並行してよいのではないかと思ってきた。
少子高齢化がさらに加速する日本において、大学教育を始めとする教育再編こそが、今後の将来をよりよく発展させてゆく大事な投資になるだろう。その急先鋒、教育の根幹である大学学府を再編するのは本丸中の本丸だと私は思う。
はっきり言って、今の日本の大学教育は玉石混合が激しい部分もあるが、玉が少ない。海外の一流大学から比べればその能力低下がはっきり表れている。フォーブスとかで世界有名企業トップ100とかやるでしょう?あんな感じで、日本の大学のいったいどれだけが世界トップ500大学に入っているか?他の先進国から劣るのもさることながら、発展途上国の一流大学にもはっきり言って負けている。
そんな日本に将来を維持できる優秀な人材が果たして育つだろうか?
答えは聞くまでもなかろう。
昭和の時代、現代のノーベル賞ラッシュを維持しているのは間違いなく詰め込み教育の受験戦争時代があったおかげだ。だからと言って、その時代の教育に戻せばいいという話ではない。今の時代にはそぐわないから。
今後、国の将来を意識した教育を組み立てどんな人材を育成するのか。そういう構想のものとに教育改革を行い大学再編をやって欲しい話だ。
戦前戦後は明確な目標があった。西欧列強に追いつけ追い越せという目標だ。
今は違う。
あらゆる事が一元的に解決することが難しい昨今、大事なのはどれだけ柔軟に発想し、スピード感をもって前進後退が可能な人材を作るかだ。
昭和から平成は正確な答えをどれだけ早く出せるかが必要な時代だった。いまは解無き答えをいかに絞り出すかが大事な時代。あらゆる環境変化に対応する柔軟性が必要だ。
私は生物学をやっていたので、その辺の感覚はすごく馴染み深い、進化の究極は常に生き残り。どうやって、急激な環境変化に適応するかの戦いだから。環境を味方につけるもよし、環境になじむのもよし、また環境に負けない強さを身に着けることもあるだろう。
万物の霊長などと浮かれている人類の中で、いまだにほぼ単一民族を守ったまま発展した稀有な島国日本にこれからの期待を寄せるなら、兎にも角にも、将来の教育を改革して欲しいと祈るばかりである。