トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

生前葬について。死ぬことと見つければ?

最近は自分自身のお葬式の事前相談にいらっしゃる人も増えています。その男女比率は、男性が3割、女性が7割程度。性差による偏りがある原因ははっきりしません。しかし相談内容を聞いてみると、女性に比べて、なぜか男性は「自分の死」について考えることをとても嫌う傾向があります。

実際、「自分はエンディングノートを書いたりして終活を楽しんでいるのだけど、夫はすごく嫌がっていて。サラリーマン時代はあんなに仕事は準備と段取りが大切ってうるさい人だったのに」とおっしゃる奥様の声も良く聞きます。

自分のお葬式のことすら考えるのがイヤな男性が、わざわざ生前葬をしたいとは思えません。

冒頭で紹介した安崎氏の場合、死期を悟ったうえで、生前葬という粋な人生の幕の引き方をしました。彼の生前葬が耳目を集めたのも、自分には到底まねできないことをやりきったことへの羨望もあるかもしれません。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

女性は共感力の生き物だそうなので、恐らく終活も楽しめるのだろう。

 

だが待ってほしい。元々、死ぬ覚悟を決めていたのは男性側だぞ?

 

『武士道とは死ぬ事と見つけたり』これは『葉隠』の中に出てくる有名な一文です。

 

鍋島藩士で出家した山本常朝が書いた訳ですが、死の覚悟を朝な夕なに固めるからこそ、武士は死の間際において、大将の為命を張れるし、いざという時に慌てないという意味合いで使われています。

 

曰く、夜寝て夢を見るなら、出来るだけ悲惨な死に様を夢に見よというくらい武士は徹底して死を見つめてきました。

 

まあ、武士は精々1~3割程度でほとんどの7~9割は農民だった訳ですから、武士道をわきまえる訳にもいかないのは理解しています。ただ、少なくも表立っての部分は女性よりもむしろ男性の方が、死ぬことについて真摯に向き合っていた歴史があるということです。

 

であるならば。

 

なんで今更、こんなみじめで女々しい態度に出るのか?

 

それが私には情けなく感じます。

 

葉隠れには敵いませんが、いつも朝起きて、出社するため家を出るときに、『今日死んでも我が人生に悔い無し。』と呟いてから、家を出る事がいつの間にか習慣になっていました。多分、一回過労で死にかけた26歳から27歳にかけての頃に勝手に始めた習慣だと思います。さすがに40を超えた今ではそんな感じでは無く。『もう人生の半分は生きたから、死んでも悔いはない。』『生きてたら丸儲け。』と思って、出社してますが(笑)

 

本当にいつの間にかやっていたので認識したのは29歳くらいになってからです。『あれ?なんでそんなことしてるんだろう?』とある日突然気が付いたのですが。

 

今はしっかり、意識してやっています。

 

ある種の覚悟が毎朝定まるこの習慣はけっこう自分でも気に入っていたりします(笑)

 

仏法の経典には『まず臨終の事を習い覚えよ』という趣旨の言葉があります。

 

これは死は生きている以上一定であり、不要に死を恐れる事で招く災いを除く意味があります。結果、覚悟が決まっている方が、いざという時に強いって事らしいです。

 

それだけ、女性の方が肝が据わっているのですから、世の死意識したくない男性は女性に従えられるのが、似合っていると思います。

 

最低限対等になる為には死を見つめる強さを身に着ける事ですね。