長い闘病生活の末、病院で亡くなった杉岡道子(仮名)さん。ある日、彼女の親族から望月さんの会社に「故人の遺品整理をしてほしい」という依頼がありました。望月さんが故人の自宅で遺品整理を進めていると、部屋の片隅から白骨化した猫と思われる死骸が見つかりました。おそらく故人が入院してしまったため、誰も世話をする人がおらず、餓死してしまったようです。依頼主である親族は死骸が見つかって初めて、生前の杉岡さんが猫を飼っていた事実を知りました。
望月さんが同業者から聞いた話によると、そのほかにこんなケースもありました。故人の遺品整理に自宅に入ると、ベッドの上で犬がうずくまるようにして亡くなっていました。飼い主が突然入院してしまい、置き去りになっていたようです。
望月さんの「ベッドに飼い主のにおいが染み付いていたんでしょうね」という言葉に複雑な感情を抱きます。
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週刊東洋経済記事より。
『終生飼養』という言葉がある。
飼い主が、その飼っているペットが、死ぬまで一生ちゃんと面倒を見るという意味だ。昔、近所の大工の棟梁が言ってた。『自分の食い扶持も稼げないのに畜生(ペット)の面倒なんか見られるか!』と自分の子供に言っていた言葉だ。
今なら、情操教育だのなんだのと言って、この棟梁の方が、時代遅れだ見たいに言われるのだろうが、子供ながらにこのおっさんの言ってることは正しいと直感したのを覚えている。
孤独死が増え、独身単身世帯が増えた今、結婚しない、子供を持たない選択をした人たちにとって、ペットは掛け替えのない家族だったりするのだろう。単身世帯のお年寄りもそうかもしれない。
でもだからと言って、パートナーに迎えたペットを置き去りにして良い訳では無い。ペット側からは飼い主を選べない。選べないのに一蓮托生を強いられるのだ。せめて、彼らペットの寿命がもつまで自身が生きられない可能性があるのなら、基本的には飼うべきではない。
それでも飼いたい場合は、自分が死んでも何とかなる仕組みをペットのために残しておくべきである。
それは次元は違うが、子供に対しても同じ。何を残してやるかは人それぞれ違うだろうけど。