トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

孤独死の内容が変わってきたらしい。

不摂生や医療の拒否、部屋のごみ屋敷化などによって、自らの健康状態を脅かす、セルフ・ネグレクト(自己放任)。孤独死とも密接な関係にあるこのセルフ・ネグレクトが、近年大きな社会問題となっている。緩慢な自殺と呼ばれるセルフ・ネグレクトの最前線を追った。

「ああ、このお部屋は、セルフ・ネグレクトですね」

全国に展開している大手特殊清掃会社の特殊清掃人の女性は、部屋に入るなり、厳重な防毒マスク越しに私にそう教えてくれた。スースーという呼吸の音だけが、家主を失った部屋に響く。

築30年は下らない老朽化したアパートの、いわゆるゴミ屋敷のような6畳一間の部屋。そこで50代の男性は、脱ぎ捨てたおむつや、段ボール箱、散乱するコンビニのお菓子の空袋に埋もれるようにして亡くなっていた。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

セルフ・ネグレクト=自己虐待、とでも言えばよいのだろうか?

 

セルフ・ネグレクトの特徴として、ゴミ屋敷だけでなく、必要な医療やケアを拒否するケースが多いのだそうで。

 

65歳以上のお年寄りはまだ介護保険制度のお陰で見回りが有ったりしてまだましなんだそうな。孤独死しても、すぐ見つかるという意味に於いてですが。

 

50歳以下の中年男性が、リストラや離婚等で、セルフ・ネグレクトになるとまあ悲惨な死に様になるのだそうで。

 

そりゃそうだろうな。理由はどうあれ、たかだか離婚したぐらいで、日常生活一般、衛生面の自分の面倒が見られない半人前のクソッタレなんだから、そりゃ惨たらしい最期を晒すでしょうよ。一人暮らしや海外駐在をしてる人たちは、生きる事自体がそもそもいろんな工程を踏んで成り立っている生命活動だと理解しているはずです。

 

黙っていても、一人暮らしでは、ご飯は出てきません。自分で作るか、完成品をどっかから調達するか(笑)洗濯も、風呂も、掃除も、電気ガス水道ライフライン全般全て、自分でコントロールしなければどんどんインフラが劣化します。

 

そんなの当たり前です。野生動物ですら、自分の縄張りは常に見回りしてメンテナンスしています。同じこと。一人暮らしとは群れを成さない動物みたいなものですから、当然対外界の障壁は高くなります。群れてないから(笑)

 

それをものもとしない生命力こそが、単独行動、一匹狼でいられる最低限の条件です。

 

そうでなければ、野生の場合は例え百獣の王ライオンですら、ハイエナの群れに狩られます。そりゃあもう簡単に狩られます。多勢に無勢ですから。

 

同じこと。

 

離婚しようが、勝手に親元を離れて自活しようが、ひとたび一人で暮らせばそれは一匹狼に他なりません。自分の身は自分で守る。きょうび、三歳のガキだって、理解している世の理です。

 

それをセルフ・ネグレクトとは。まあ、なんて人間て素晴らしい生き物なのでしょうか。そんな事したら、野生なら即死もんですよね?いかなる理由があったとしても。コントロール出来ない状態を放って於く。もしくはその状態になったらヤバい事を自覚できていない個体は所詮、生き残る生命力が足りてないってことです。死ぬのは当たり前。むしろ、今まで生きてこられたことに感謝しろ!って話です。

 

だから、私はありとあらゆる身の回りのことは、それこそ自分で開腹手術する様な事でも無い限り、大抵こなせる様に自らを訓練してきました。ナイフ一本あればそれこそ山に放り込まれても生きて行けるように。

 

なんでそんなことしてたの?と言われても困りますけど。物心ついたころから、そうやって生きてきた感じです。それこそ小学校低学年から、料理もすれば洗濯も裁縫も、傷の手当まで自分でやってました。人にやってもらうのが嫌な子供でした。

 

生物学を志し、バイオテクノロジーに興味を持って、大学へ進学して以降はそれがより顕著になった感じです。

 

そういう生き方をしてきた私から見ると、30~40代の孤独死は『生命力の足らない個体が自然淘汰されただけ』にしか見えません。野生動物が自然界で賢く生き残るように、ジャングルではない都市で、人間界という縛りの中、生存競争を生き残らねばならないのは同じ生き物としての最低限のたしなみなのではないでしょうか?

 

特段、ニュースの様に取り上げる価値のある記事かね?と思ってこれを書いた次第。