自分も大変だけれど相手も大変なんだ、と視点を変えてみるとイライラが少し減ります。なぜ子育て中の女性は大変なのか、夫や男性はなぜ家事育児を分担しなくても免責されているのか、と考えてみましょう。共働きでも夫のほうが自由時間が多いのはなぜか、問題の根はひとつです。
その延長で、“作戦”を考えます。たとえば育児休業を取る同僚がいたら今後どうするか、その間の対応を上司や人事に相談する。それも育休社員の欠員補充をするのが当然でしょ、というのでなく、「これこれの仕事の量はこれこれで、新しい人員がこれだけ必要」といったように、客観的に納得してもらう材料を提供するのです。
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週刊東洋経済記事より。
育児休業やら、時短労働をしている子育て女性に対する周りの女性の存している気分やら、同僚男性のふざけんな子供がいるからって何様?的な意見に対する対処法について『女性の品格』を執筆した坂東眞理子・昭和女子大学理事長が、いま考える人生100年時代を納得して生きるために必要な「女性の美学」とは?という視点で考えている事が記事に載っていた。
女性同士で憤懣やるかたないのだそうで。そりゃそうだ。子育て中の本人が未熟者過ぎて、法律で保障されている当然の権利であると踏んぞり返ったり、子育てに耐えられず精神的にも肉体的にも追い込まれて余裕を失って、当たり散らすような馬鹿者の方が多いから。
ただ、みんなが皆、耐えられて、切り盛りできるか?と言われれば答えは否。出来ない方が多いのは納得がゆく。だって、子育て抜きにした、たかだか仕事だって、できるやつ出来ない奴、トロイ奴、馬鹿なやつは何処にでもいる。結果、出来るやつが、どこでもカバーしているのだから、別段子育てに限った話ではない。
だから、結局できる奴が割を食うってのは、きっと本源的に解消されない。ならばせめて、出来る奴の矜持として、悠々と見下ろし、よりプラスの価値を生むように前向きに考える方が、ちったあマシだ。
その意味で、筆者の意見には賛同する(笑)
結局、そんなモヤモヤを抱えなければいけなくなったのは老人の票を当てにして、少子化対策を蔑ろにした政治家だし、その政治家をのさばらせたのは選挙民である国民であるから、仕方がないよね。嫌なら投票に行くべきだったって話だから。
20代の投票率が、史上最低を毎回書き換えているような日本にそれを期待するのは宝くじが当たるのを待っている様なものだ。
それでも私は諦めずに投票にもいくし、周りに投票行動の啓蒙はしてるけどね。勿論誰にも指図されたわけではなくだ。
結局選挙に行かないと回り回って損する仕組みに国民参政権制度はなっているのだから、やり続けるしかないのだ。
ベターを選び続ける為に諦めが漂っても、諦めてはならない。