平沢議員は1月3日、山梨県でおこなわれた集会で『LGBTで同性婚で男と男、女と女の結婚。これは批判したらヘンなことになるからいいんですよ。もちろんいいんですよ。ただ、この人たちばっかりになったら国は潰れちゃうんですよ』さらに、『同性婚パートナーシップ証明書』を出している東京の渋谷区や世田谷区に言及し、『先進区だとか自慢しているが、私にはその考え方はよくわからない』との賜った件について。
何がいけないの?と思う。
差別発言か?コレ?
自民党の改憲草案骨子は確かに家族(一夫一婦制の男女の夫婦を想定。)にすべてを押し付け、本来国が面倒を見る部分まで、自己責任ととられかねないトンでも草案であるかもしれないが。
だからと言って、平沢議員の発言を差別発言と取るのは如何なものか。
明らかに平沢議員は少子化問題を念頭に発言しているし、LGBTの人たちをどっかの生産性が無いと発言した自民議員と同じ文脈で扱っている訳では無い。
可能性としてあり得ない訳だが、LGBTだけの世界になったら、本当に国は亡ぶ。これは仮定だが、紛れもない事だろう?ただ、全世界的にみてLGBTは性的指向少数派とされるだけあって、いいとこ8%だ。これが、いきなり30%になる事はないだろう。地域的に例えば10%くらいにはなる事があったにしてもだ。
10人に一人と言えば隣の人がLGBTだったりする確率な訳で、それを人権的側面から見て、差別するような発言は許されないし、そもそも島国根性丸出しの日本人みたいな単一民族はその差別傾向が極端なので、がなり立てたい気持ちは理解できる。
だが、それとこれとは別だ。
平沢議員の肩を持つわけではないが、今回は別に悪い事を言っている訳では無い。言い方が気に入らなかったなら、『言い方が気に入らない!』『〇〇という誤解を生む危険がある!』と指摘して訂正なり撤回なりを求めるのが筋で、議員だからって、AIじゃあるまいに間違わないなんて事は無いのだから、反論する側にも、矜持をもって、上手い事、攻め手を見せてほしい。
先進区であるというのが、理解できないという発言にしたって、人権擁護という観点から、同性婚を認めたからって先進でもなんでもなく、当たり前のことだという認識があるから、『意味が解らない』という発言に繋がっているハズだ。
それを重箱の隅をつつくかのような発言はどうかと思う。
LGBTの人たちがより生き易い心安らぐ方向性の法整備や認識の改善は当然必要だが、マイノリティーをマジョリティー化する事ではない。マイノリティーを認識して、それも有りなんですという社会を作るのが目的だ。
LGBTの人たちが、性的指向のマジョリティーの人達に抱く思いがあるように、マジョリティー側にも、同じくLGBTの人達に抱く思いがある。どちらも、好き嫌いの部分は受け入れられないまでも、許容範囲として認識してほしいって話であって、強権的にどちらか一方の思いを認めろって話ではない。
お互いの立場を踏まえた上で、無駄な争いを産まない流れを作ろうって話だろ?
こういう小さい軋轢を偶発する様な報道姿勢が、双方に不利益になると、なんで、メディアは思わないのか?
LGBTの方々は生産性が無いという発言とは別の話だとしっかり私は訴えたい。
生産性の話で言うと、もうLGBTの人達を抜きにダイバーシティーは語れないし、そういう人たちも、巻き込んで上手く発展できる社会や世界を作り上げないと今後の成長はあり得ないくらい、世の中複雑化してきている。
彼ら彼女らの力を借りて、次の課題に目を向けなければ到底乗り越えられない世の中になってきているのだ。そのために、お互いに詳しく知りあって、協力する世の中を作りたい。対立は何も生まない。疲れるだけだ。
そもそも、日本は仏教主体の国なのだから、もっともLGBTなどの話は親和性が高い民族意識のハズ。法華経の経典にもその参加者名簿とされる序文にはLGBTとされる人々の名前(個人名ではなく指向系統名)で出ている。しかも、もっと分類は多い!
数千年前にインドで書かれた経典すら、そうなんだから、絶対に一定数LGBTはほぼ変わらない割合で存在し続けていたと考えるのが、妥当な線だろう。
そう言った意味で、もっと認識を深く改める事は今後も必要だと思うが、それは揚げ足取りをお互いに繰り返すという意味ではない。今回の発言に関する報道は私個人としてはとても違和感がある。