19日の大津地裁判決は、元同級生2人の加害行為が、生徒の自殺に結びついたと明確に因果関係を認めた。過去の同種訴訟では「いじめの被害者が必ずしも自殺するとは限らない」との判断から、自殺は「特別な事情」とされるケースが多く、今回は踏み込んだ司法判断といえる。
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毎日新聞ネット版より。
最早、多くの犠牲が伴っているのに遅すぎるのだが、それでもこの判断が示された意味は大きい。
そもそも、イジメる側が『遊びのつもりだった。』、『いじりだった』、『ふざけていた』などは詭弁に過ぎない。
意思も無く、行動する者はいない。必ず行動には意思が伴う。ふざけているのが本当の当事者の意思ならば、やられた側が自殺する訳が無い。本能レベルで、イジメられていると受信しているから、死にたいと言う思考にたどり着くのだ。
その因果関係を司法の場で、示せなかったから、今までいじめた側が得をするような判決が後を絶たなかった。今回の判決はそれを打ち破った意味でとてつもなく意味が有り、画期的であったと思う。
私は小学生時代から、中学生、高校3年生に至るまで、大小様々ないじめを経験してきた。特に中学時代は酷かったが、運良く生き残る事が出来た。完全にいじめから脱却できたのは大学に進学してからだ。
だから、誰が何と言おうと何度でも言ってやる!いじめはイジメる側が100%悪い。裁かれるのはいじめた側であって、イジメられている側では決して無い!
そもそも、成人もしていない子供が、なぜ学業の場で、死を選ばなければならないのか!その重さをしかと大人は考えよ!自分の子供だったら、イジメられた側にも責任があったから仕方が無いなどと言えるのか?
イジメは絶対に許してはならない。相手が子供だろうが、大人だろうが関係ない。18歳選挙権が認められいずれはそれに伴って成人年齢も18歳になるだろう。そうなったら、高校3年生は大人だ。然るべき司法の場で裁かれる年齢になるのだから、厳罰をもって臨めるようにイジメに関する法整備は厳として進めて欲しい。
無駄死にする若人をこれ以上増やさないためにも絶対に必要だ。
最後に今、イジメられている同志たちへ。
生きているのが辛く、死んだ方がマシに思える地獄の日々だろうと思う。親も、教師も身近な大人はことごとく信じられない、使えない敵だと思う。でもその地獄は永遠では無い。必ず終わりが有る。今は耐え難きを耐え、忍び難きを忍んででも、生き残る事が君たちの勝利だ。生きてくれ、何をしても、生き残ってくれ!
学校何て、行かなくて良い!生き残る為なら、引き籠りで充分だ!生きてさえいれば必ず取り返せる。生きるんだ。絶対に死んではならない。死ぬ事はイジメて来た奴らを喜ばせることは有っても、悲しませも、ましてや仕返しにもならない。生き抜いて生き抜いて、生き残る事こそ最高の仕返しであり、あなたたちの真の勝利の姿だ。
誰が何と言おうと、私はあなたたちの味方だ。掛け替えの無いあなたたち一人ひとりが、生き残り、生き抜いた証を立てられるその日を真剣に私は祈りぬく。
だから、生きて欲しい。死なないで欲しい。生きて生きて、生き抜いて欲しい。必ず冬は春となる。勝利の春まで生き抜いて下さい。私はあなた達の勝利を本当に本当に祈っている。生きてこそ掴める栄光をその手にするまで、生き抜いて下さい本当に本当に。