関西が地元の大学の同級生に会いにこの春節休暇を利用して行ってきた。
同じく関東在住の同級生達と東京駅で合流して、3人で。
もう、みんないい歳こいたおっさんなので、日帰り強行軍は辞めよう(笑)と事前に相談して、泊るホテルも準備して、おおよその彼の実家の位置はGoogle先生に聞いておいて。。。
いざ、当日になったら、流石に家の目の前までは行けなくて、たまたまサイクリングに出て来たっぽい地元の方2人に『〇〇さん宅はこの辺で合ってますか?』と聞いたら、『その隣のお家だよ?』と教えてくれた。
そのとなりの『その』とは綺麗に整地された見るも無残な家屋跡。
良かった、まだ彼は実家に住んでいるかも知れない。(正直、引っ越しましたよ?と言われたら終わりだった。)
インターフォンが有る訳でも無い、奥行きの有りそうな大きな日本家屋。観光地にほど近いところにあるとは思えない様な立派なお宅だった。
ガラガラと玄関を失礼を承知で開けまして、『ごめん下さ~い!』と朝10時に似つかわしくない大声で叫んでしまった(笑)
いや、近所の自治会のおじいちゃん、おばあちゃんのお宅へ良く自治会の用事で訪問するのよ(笑)そうすると自治会のお歴々の方々の家は大きい日本家屋でね。平屋の癖にやけに広いから、声を張らないと、届かないのただでさえ遠いお耳に(笑)
家の形をみて、とっさに本能で自治会回覧板モードになったんだろうねきっと。自分でもびっくりする声で呼んでしまった・・・(恥)
そしたら、上品な感じのおばあちゃんが、出てらして、『どちら様ですか?(あやしげ)』と仰る。
朝の10時に大声でごめんください。出てみればまあ、モサイおっさん一人(私)と、真面な壮年2人(一緒に行った同級生の事)の三人組。そりゃ、怪しさ大爆発だろうとも!(笑)
『いや、実は〇〇大学の同級生達でして、私が今、中国に住んでいるものですから、春節の休暇を利用して関西まで旅行に来てました。同級生3人で。』『近くまで来たものですから、寄ってみようと、アポも無いのに突然お邪魔した次第です。』『〇〇さんいらっしゃいますか?』
『ああ、〇〇ね。いるよぅ。』(関西弁独特のイントネーション)
『ちょっとまってねぇ。今、声かけるから。』
どこから、出てくるのかな?とちょっと気になった。流石に奥行きはここからでは解らないが、大きな家に見えたので、どっから出てくるのか興味があった。
そしたら、なんと目の前で電話し始めるでは無いか!(電話しないといけない程、遠いの彼の部屋???)
何の事は無い、実は近くの別棟に住んでただけだった(汗)
夜勤明けで、爆睡中の彼を叩き起こしてもらい、感動の対面。
いや、叩き起こさんでも、良かったのですが・・・。ごめん〇〇!!
〇〇は言い辛いので、ぢろきちね。彼の学生時代のニックネームというかキャラクター名というか(笑)
ぢろきちは寝ぼけた目をこすりながらなんと我らの背後から登場した。
こんばんわ~(一同声の方向へ、驚いて振り返る!)
いや、朝だし。(同級生で一番冷静なKさんが、普通に突っ込む)
一足遅れて、私『おお!ぢろきちさん!元気そうで何より!』
ぢろきち『なんやねん。寝入りばなから~ようここが解ったな~?』
いや、あなたMさんの結婚式の招待状送付の為に住所全員に何故か公開したでしょうが(笑)
(閑話休題)
その後立ち話も何だからと彼のお婆さんが、近所の喫茶店を紹介してくれて、みんなで異動。モーニングをやっている喫茶店で、全員飲み物のみ頼むと言う荒業を行った。(ごめんなさいお店の人。)
ぢろきちとはあっという間に距離が消え、大学時代と同じような会話に。
ただ、紆余曲折有ったみたいで、それこそ10年ぶりくらいにお互い生で会うので、語りつくせない話が次から次へと出て来た。流石にこのまま喫茶店に居着いたら、ヤバそうな気がしてきたので、出る事にした。
『どっか行くのぉ?』とぢろきちが、言う。
いや、予定は無いけど、昨日、入れなかった通天閣は行きたいと思ってる。
『ほないこかぁ~』(←相変わらずの行動力!!)
ほぼ夜勤明けで一睡もしてないのにここから、晩御飯まで一緒に居た・・・。ホントごめん!
前々から、尋常じゃ無いスタミナの持ち主だとは思っていたが、よくもあれだけ寝てないのに我々に色々観光名所回ったり、ご飯の美味しい所、教えてくれたりと体力もつよなぁ~と感心した。同い年なのにだ!(自分に反省)
自然と母校〇〇大学の話になった。
次はじゃあ、発展した母校周辺にでも遊びに行くか、他の地域に散った奴らに声を掛けて、ガッチリ関西旅行するかしようか?と私が提案。
これと決めるでもなく、『イイね~!』と大雑把な賛同。これが、良い(笑)予定は未定、決定にあらず!未来のことなど誰にも解らん。何となく決まって居れば、後はどうにでもなるという当時のノリそのままにみんなの合意が図られた(笑)
流石にそろそろぢろきちのHPが氷点下になってしまうと危機感を覚えたので、ここまでで良いですと、まだまだ行けるという彼をなだめてお別れした。
ちゃんと最新の連絡先を共に交換しながら。
通天閣で記念に撮った4人で収まったビリケンさんの写真は私の一生の宝物だ。結構ちゃんとした写真で、装丁も見事なんですよ!
20年来の我が友と元気に会えた事の喜びは計り知れない。正に生涯を掛けた友人とはいかに大事なのか、改めて知る大事な機会になった。
もう、20年来の付き合いが続く、我らだが、よくもまぁ、飽きもせず毎年1~2回定例で集まっては盛り上がっている。みんなの元気な顔を見られることが何よりの酒の肴である。
結婚したのが内3名、バツイチ一人。(私ですハイ。)
約10人の仲間が、これだけ長い時間、分解する事無く付き合えているのは奇跡だろう。誰が掛けても、きっと喪失感は計り知れないと思う。人間だから、きっといつかはそういう時が来るのだろうが、願わくば自分が一番最初に逝きたい。
友を見送る側には耐えられそうにない。我儘だけど、私はどうせなら先に逝く。
生涯離れないであろう最高の仲間たちとどうか、出来るだけ末永く、この付き合いが続く事を祈る。切に祈る。
今年で45歳になるが、今もって、本当に奇跡的に集まった掛け替えの無い友人だと思ってやまない。例え住む世界が変わっても、またいずれ出会って、共に旧交を温めたいそういう仲間たちだ。