トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

離婚した元既婚男性は自殺しやすいんだとさ(笑)

「既婚男性の妻唯一依存症候群」

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

妻への依存度が高いが故に離婚したりして、依存先を失って死ぬ愚か者男性の事を言うらしい。

 

そんな輩は『ザマァみろ!』と声を大にして言ってあげたい。

 

実際、私の職場にもこれに該当する人がいた。

 

居たと過去形なのは既にこの世にいないから。

 

この人はご結婚されていた地当時、会社のイベントで外でご夫婦とお子様と一緒にいるところに会ったことがあるので、よ~く覚えている。まあ、絵に描いた亭主関白で、他の同僚がいるのもお構いない詩に自分の奥様をバカだのアホだの罵っていた。

 

当然、お子様もそれを目撃している。

 

それが、恐らく彼にとってのいつもの風景だったのだろう。

 

でも、見ているこちらも気持ちの良いものではなかった。離婚後、仕事もろくに出来なくなり、消え去るようにいなくなった人だったが、どう考えても、自業自得。奥様は奴隷じゃないし、旦那である自分も王様じゃない。夫婦なのだから、お互い慮ってこそだろう。それが、あろうことか、外野である外の人達、例え職場の同僚にしても、大々的に愚弄する姿を晒しているのは如何なものか。

 

申し訳ないが、私はこの件に関しては全く同情できない。その状態を引き起こしたのは他の誰でもない自分なのだから。

 

依存することが悪いとは言わない。そういう事が、仕方のない人もいるだろう。だが、であればこそ、依存させてくれている存在が、自分の生命線だと気がつかなければならない。そこを失う事を想定し、対策しておかねばならない。人生何があるのかわから無いのだから。

 

もうね。こういう話は本当に無様で情けない話だ。

 

男でも女でも、生まれ出時はただの一人。死ぬ時もそうだ。たった一人で生まれ、一人で死ぬ。どんなに愛した妻も、子供も、普通なら自分の死ぬときに道連れには出来ない。ならば、なぜその愛おしい相手を無碍にするのか?ありえないだろ?

 

私は仏法者だから、というのもあるのかも知れないが、なぜそこまでやれるのかと思う。その人の事を思って厳しい態度をしなければならない事もあるだろう。嫌われるのも覚悟で進言することもあるだろう。でも、それとバカにするのは違う。

 

これは昨今の子供の虐待死にも同じことが言えると考える。

 

雑誌記事では一人の妻に依存せず、いろんな人脈ルートを作って備えよと締めていたが、これこそ阿保らしい。

 

人間は一人では生きて行けない。必ずいろいろな人に力を借りて生きている。近所のスーパーの総菜担当のおばちゃんが、半値の値札を張った総菜を買う時に、たまには揚げ物じゃなくて、こっちの野菜炒めにしな(笑)とか言ってくれるのも、自分の事を見てくれる人だからだ。

 

わざわざ、人脈だなんて、たいそうな事を言わなくても、関わる人はそれこそ一日だって、どんだけいるか。それら、見ず知らず、名前すらわからない人との関わりに生かされているところもあるのだとなぜ思わないのか?

 

だから、いざ一人になると、さっさとくたばる。生命力が弱すぎるのだ。

 

弱い部分を補ってくれた依存先の妻を失ったから当然の結果だ。生命維持装置を自分から外したようなものだ。なので、全く同情しない。勝手に死ね。

 

それを他のせいにするな。

 

人はもとより、限りなく強くなれる。また限りなく弱い存在でもある。

 

だからこそ、せめて生きている間は、自然とあり、手を抜くな。

 

これが野生だったら、手を抜いた瞬間エサになる。ありがたい事に人間だから、そうならないだけ。自らの周りの人にもうちょっと気を配れ。その目の前の人は自らの生命線かも知れないぞ?