【シロクマの屑籠さんのブログから転載】
優秀な人材を自認する人は、しばしば「リストラを怖れなくても良い優秀な人材になれ」と言う。だが、すべての社会人が優秀な人材になれるとは到底思えない。控えめに言っても、社会人の半数以上がリストラを怖れなくて構わないほど優秀になるなんてことはあり得ないのではないか。
結婚して家庭を持ち、いちばん稼いでこなければならない時期にリストラの対象になるかもしれないのは大変なリスクだ。いまどきの社会人は、そういうリスクを念頭に置きながら人生設計しなければならないらしい。
その一方で、高い技能を持った若者が求められているという。
人手不足のこのご時世、高い技能の若者は引く手あまたなのは理解できるが、そのような若者をつくるにはそれ相応の時間とカネがかかる。若者という「資源」は子どもという「原材料」を加工(養育)しなければできあがらず、21世紀現在、その困難な加工プロセスは親に任されている。
いまどきの企業が欲しくて仕方がない若者という「資源」は、いまどきの企業がリストラしたくて仕方がない40~50代の社員の家庭で、子どもという「原材料」からつくりあげられている。
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仰る事ごもっとも。
企業の利益追求というところから短絡的に見ればリストラというのが合理的な判断なのだろうが。そうやって、首を斬り、他方、喉から手が出るほど欲しい若くて優秀な人材はその首を切った中に育ててる最中の若芽が居るかも知れないというジレンマ。
そこには人財をモノとか数字でしか見ていない視点になっていると気が付いていない傲慢がある。人を育てるには機械じゃないのだから、金と時間がかかる。ホイホイリストラしても替えが効かないのだ。だから、外国人を入れようなんて話でしょう?
違う。
大事なのは双方向性。
使えない人を外す。外した人を再教育して、今最も欲しいトレンドにはなれないけどニアリーイコールを作る方法に舵を切る。そうするとリストラの母数の中から、才能が有って、あたりに変化する人も出てくるはず。歩が金になるように。
その上で、若い方、大学を含めた教育改革で、以降の若手人材が将来期待されるであろう人材像へ近づく教育体制を構築するのが望ましい。
捨てるだけではだめで、リユース、リサイクルを人財にも施す必要があるのだ。だって、人間はモノじゃないから、意思があり、やる気のある人もいるから。使えるものはなんでも有効活用しないと資源が足りないのだから(笑)
人も然り。
今のフェイズで使えない人も使い方や、使える人のコツを伝授すると途端に生まれ変わる人もいる訳で。そういう人達まで一緒くたに切り捨てるのはもったいないし、間違っていると私は言っている。
日本人で使える人材を簡単に一から作る事は出来ない。その国で生まれた人以外は。
そのことをよく考えて外国人労働者を戦力として受け入れるべきだ。
人には適材適所がある。外国人をはめた方が上手く行くところもあるだろうし、日本人の方が有利な場合もある。足りないところは補って、補うのに教育が必要なら、教育し、機械が必要なら機械、AIならAIに任せるそういう多様性を操ってこその万物の霊長さんなんじゃねーの?と私は思う次第。