トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

「孤独死」の二極化

【WEB記事を読んで、以下抜粋】

 

「これは1カ月どころじゃない。数カ月は放置されているな」

特殊清掃業者は現場を見るなり、そうつぶやいた。男性は病気で体を悪くしてから、生活保護を受給していた。清掃の途中で業者は、「新型コロナのため、訪問は当分控えさせていただきます」という福祉関係者のメモ書きを見つけていた。男性は福祉関係者以外、人とのつながりは皆無だったようだ。メモは、コロナ禍になり男性と外界とをつなぐたった1つの糸が、プツリと断たれたことを示していた。

セルフネグレクトでも深刻なのが、ゴミ屋敷だ。夏場のゴミは熱を持ち、室内はすさまじい高温となり、命さえも奪う。真夏に訪れた関東某所の4LDKマンションには、天井に届くほどのゴミがあった。女性は自らがため込んだゴミにつまずき、長期間放置され、命尽きた。高齢者の場合、室内での転倒は頻繁に起こりうる。転倒は、とくに人とのつながりが少なく発見が遅れると、命取りとなる。

(中略)

私が女性の部屋で衝撃を受けたのは、部屋の真ん中で無残に傾いた巨大な食器棚だ。成人男性の背丈ほどある食器棚は大きく傾き、今にも倒れそうになっている。東日本大震災の爪痕だった。管理人によると、女性は子どもとは疎遠で、近隣住民との付き合いもほとんどなかった。だから地震で傾いた棚を元に戻すことができなかったのだろう。女性はこの危険な部屋で生活していた。時が経ち、棚の周りはゴミで埋め尽くされた。傾いた棚は、生前の女性の孤立を象徴していた。

神奈川県の瀟洒(しょうしゃ)な分譲マンションで落命した70代男性の部屋も、孤立を感じるものだった。広々とした4LDKの室内は真っ暗でとにかく息苦しい。電気をつけると、その理由がわかった。男性は窓という窓、穴という穴に目張りをしていたのだ。まるで外界を遮断し、はねつけるかのように──。

(上記記事抜粋コピペ)

 

 

老人独居、一人暮らしで、孤独死することが、社会問題になってから、もう10年以上たっていると思う。

 

コロナ過になって、社会福祉行政から辛うじて社会とのつながりを維持していた人たちが、その希薄な社会的つながりを断たれ、死につながっているケースをこの経済紙記事では取り上げている。

 

男性は特に職場の縁の切れ目が、そもそも命綱を切る事に直結しかねない脆弱性をはらんでいる。比較的、社会性、社交性が高いとされる女性でも、上記紹介記事にあるように孤独死が増えているという事実が今回の記事では特筆すべき点だと私は思う。

 

人は思ったよりも簡単に死ぬ。

 

過酷な生存環境に置かれる事よりも、人とのつながりを断たれ、茹でガエルの様に何とかなるかも?という根拠のない緩やかな死へ向かう環境の方が、返って死の可能性が引き上がる皮肉な結果になっているように見えて仕方がない。

 

食えなきゃ死ぬし、体が動かなければ死ぬ。

不潔すぎても死ぬし、病的な状態から回復が見込めなければ死ぬ。

万物の霊長などと言っても、支えてくれる誰かがいなくなったとたん、崩れ去る脆い個人のなんたるか。その辺は日本人男性は特に脆いと言って過言ではないと私は思う。