トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

女子の貧乏

女子の貧困?貧乏が顕著らしい。


『年収300万円未満 男47.0% 女71.6% 女の子貧乏』


貧乏女子って言うんだそうだ。正直薄給の身で言わせてもらえば世の中の大半がこの年収で生活しているのだから、貧乏も何もそれが『普通』なのではないだろうか?

私がガキの時分には回りは殆どみ〜んな貧乏で金持ちなんか一握りだった気がする。それでも更に我が家は貧乏にブーストがかかっていた気は多分にするけどそれでも特段不自由だった思いは無い。上を見ればきりが無いし、下をみればきりが無いのだし。


国の国税調査やら年収調査やらの統計では平成22年の数字を見るに全世大平均年収が412万円に対し一番ボリュームのある年収層が300万円台になっている。平均と最大ボリューム層との差が約100万円あるので平均より劣っていると感じる総体数が多いから時分が貧乏だと感じるのかもしれない。


でもポジティブに考えるならば過半数は貧乏な人なのが今の日本な訳で平均年収412万円を追っかける事こそ無駄な妄想に振り回される事なのでは?と思わなくも無い。過半数が貧乏なのではなく、身の丈にあっていない生活スタイルを改めて年収300万円でやっていける方法を考えるのが先決なのではなかろうか?


ただ、独身ならばそれで結論だが、奥さん子供が絡んでくるとそうも行かない。一般的に子供2人の平均的4人家族を維持するのに必要な世帯年収は600万円と言われている。旦那さんだけでこの年収を維持できる家計は全体の3割も無い。下手すると今なら2割切ってるのかもしれない。てことは、世帯年収を引き上げる為に夫婦共働きは子供が欲しいなら必須と言う事になる。後は共働きが可能な知恵を夫婦で検討するだけだ。


ここで少子化対策をする政治の出番。子育てを頑張ってくれている国民には人口増加に貢献しているのだから、応分の褒章というか補助をつけてくれないとただのボランティアになってしまう。日本の未来を担う宝を育てているのだから賞賛されて然るべきではないのでしょうか?


と。そうすると新自由主義者が『自己責任』とか言ってきそうなので嫌ですが。要は『平均値』を追いかけるの意味有りますか?と問い掛けたい。平均以上だと安心する心理は理解できますが、必要じゃないものを追いかけると追いかけることが目的化して疲れる場合があります。それよりもっと価値的なものがあるかもしれません。


だから貧乏に甘んじろとも言っているつもりはありませんが。自分または自分の家族が『幸せ』であれば良いので、その幸せを確保する『方針』が平均値超えの収入ならそのために努力して年収増加の道を邁進してくれれば言いと思う。


逆に生活はそこそこどころが『貧乏』でも心に余裕のある人生がいいという方針ならお金以外の価値に幸せを見出す生活を構築すればいいと思う。どちらに優劣は無く、単に目指すところ『幸せ』へのアプローチが違うだけだと思う。だから平均値を知っておくことは場合によっては必要かもしれないが、追いかけるのは絶対必要なことなのか?と問い掛けたいわけです。


まだ20代のころ過労で倒れたお陰でしばらくの間、年収200万の世界を経験した事があります。何故か親が購入した住宅の住宅ローンを全額負担していたので年収260万円で手取り年収が約180万円の時、140万円を親に援助していました。その代わり食費は実家暮らしでタダでしたが。


月の可処分所得がだいたい3万円ほど。全部小遣いと言う訳には行かないですがそれでもやり繰りは可能でした。これが、一人暮らしだったらもっと生活は苦しくなっていたでしょう。それでも生活できないレベルとは思えません。


最初の会社で営業やってって寮暮らしだったとき月給がマイナスになった時ありましたからね。


良く生きてたと思います。


だから貧乏女子と言われてもピンと来ない。清貧を楽しむくらいの心持が欲しいよね。