トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

意見の放棄

話し合いで決まるのは幻想だそうだ。

(ブログ以下記事抜粋)

世の中のすべての人の意見が「一致する」などということは起こりえません。いくら話し合い、議論しても、結果としてみんなの意見が一致した、などということは、ほぼないんです。

起こりうるのは「一部の人に、自分の意見を放棄させる」ということだけです。話し合って合意に達したように見える状況を思い浮かべて下さい。

そこで起こったことは、「議論を通して、全員が同じことを信じるようになった」ということではありません。一部の人が「まあいいや、お前の判断に従おう」と考えたから合意に至ったのです。「今回はそっちの方法でやってみようと思った」というだけです。



一緒に会社を経営しているとか、夫婦が子供にお受験をさせるかどうかを決めるとか、「合意に達する必要がある時」はよくあります。そういう時は、皆、議論をします。

こういった議論の目的は「話し合っている人達の意見を同じにする」ことではなく、「どちらかに、自分の意見を放棄させる」ことです。

「話し合って決める」ということは、そういうことなんです。


(抜粋終わり)


これ、国会とかと同じだね。今頃気が付いたよ。結局法律も利益を主張する同士がどうしても決着し無いからとりあえずどちらかの意見が残るように『判断』する制度だしね。

同じく話し合いを尽くしてどちらがベターなのか判断するのが多数決って事でリベートでどちらかの意見を放棄させることが出来なかったときの判断って訳だ。そんなもん議論しないで多数派工作した方の勝ちじゃん。この人のブログは説得力がないと思っていたけど良く解った。だって説得する気がハナから無い訳だから。議論するのが無駄だと思っている訳だから。だから違和感をずっと感じていた訳だ。この人の意見には魅力が無い。有効な意見なのだろうが推進する力が無いと感じていた。結局評論家なのだろうか?