食べ歩きで、秩父へドライブに行って来ました。
友人と二人で。
食べ歩きの内容はおいおい日記に書こうと思っていますが、今回は色々気付きがあってとても楽しかった。
まず、同級生だった友人としばらくぶりに直にあって目的地までドライブした訳ですが当然、合流場所まで車で迎えに行くわけですよ。
学生時代だったら、『うぃw』『お疲れ~じゃあ行くか。』で出発ですが、ここから既に違います。
友人『お早う~。(遠いので出発時間が早かった)』
『これ○○のお土産だけど食べて。』『いつも、お土産もらうからお返しにもならないけど・・・。』
もうこっからして違います。ちなみに頂いたのは柿をメインに数点果物を頂いたのですが、これがその辺のスーパーで手に入るような代物ではなく、一品級の贈答品系のお品物。流石に齢を重ねた同士だなあぁと感じる訳です。
柿ってあんなに上品な味わいのものが有るのね?また新しい世界を知ってしまったよ。
さて、のっけからして新鮮な気持ちでいたのですが。
ドライブ中の話もまた楽しい。やれ厄年がどうのとか(笑)
働きすぎで仕事が大変とか、休みの取り方に作法があるとか(笑)
上司の愚痴的なものを超越している話題が最近増えてきている所がまた面白い。
今回は食べ歩きで訪れた目的地以外に折角秩父に来たので、蒸気機関車(SL)が走っているのを観に行ってみたり、地域の特産品を買いにぶらぶら待ち歩きしてみたりと徒歩移動もはさんだ訳ですが、何度か訪れている友人が結構詳しい情報を持っていて凄く役に立った。
鹿肉のジャーキーとか鹿肉の味噌漬けなんかを購入。
普段触れないものに見たり触れたりするのは自分の枠を広げるのにはいい刺激になるなと改めて感じ入った次第。
気心知れている付き合いの長い友人でも新しい発見があるのだから、これが他の人たちだったらまた別の世界へ友人を通してアクセスできるのだから、凄いことだよなと思う。ネットやソーシャルメディア全盛の時代ですが、フェイスtoフェイスの不自由な係わり合いも大事なところなんだと再認識しました。
やっぱり、現場に行ってみないと、現物を触れて、見て、体験しないとその本質は中々見えてこないのかもしれないですね。
ちなみに百聞は一見にしかずって程度をあらわす言葉の一部だったって知ってました?私は知りませんでした。
実はこうなっているらしいです。
百読は一聞にしかず。(マニュアル学習は一つの生きたアドバイスに及ばない)
百聞は一見にしかず。(色々聞いても現物見るのには及ばない)
百見は一考にしかず。(色々みても自分で考えものにすることには及ばない)
百考は一行にしかず。(考察して理解してもやってみる事には及ばない)
百行は一果にしかず。(色々体験しても結果を出すことには及ばない)
これ元は「漢書・趙充国伝」という古典に書かれた古代中国の王朝、前漢の将軍 趙充国(ちょう じゅうこく)の言葉なんだそうで。
体験をノウハウとして自身に定着させる。そんな気付きを与えてくれた今回のドライブでした。