トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

憲法改正の抱き合わせ商法

憲法26条1項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と明記する。船田氏は「経済的制約により、この権利が十分に保証されないケースが増えている」と指摘。そのうえで「『経済的理由を問わず』との文言を憲法に盛り込むことは十分に検討に値する」と述べた。

 日本維新の会足立康史氏が「大胆な少子化対策として、教育の無償化を国づくりの柱に位置づける」と述べ、船田氏の主張に同調した。

これに対し、民進党山尾志桜里氏は「法律事項として範囲や財源論を深めていくことが適切だ」と語り、教育無償化に関する改憲の必要性を否定した。公明党の斉藤鉄夫氏は「一律的な無償化が必要なのか、慎重な議論が必要だ」と述べるにとどめた。

 安倍晋三首相(自民党総裁)は3日の憲法改正に関するビデオメッセージで、改憲項目について9条と並んで教育無償化にも言及している。

 

日経新聞記事より。

 

もうね。これ出落ちで答え出てるでしょ?

 

憲法26条1項は『すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する』

 

その能力に応じてなんですよ。

 

大学を全無償化しちゃったら、極端な話、どんなバカでも大学行くでしょ?その結果どうなる?日本の大学制度は入学が厳しく、卒業は簡単。海外はその逆だ。つまり、無償化で国が学費を担保してくれたら入学試験なんて有名無実化する。どんなバカでも、その能力に応じた学力向上が望めなくても、入学させるに決まってるじゃないか。だって大学も商売だから。

 

大学に無償で入学、卒業させてやるから、憲法改正させてね!と言うのが透けて見えるどころか、ありありと解る。しかも、財政難の昨今、どうやってその費用を捻出するのか全く見えない。

 

考えてもみろ、そんな大量粗悪生産の大学生を増やしたら、何が起こる?

 

1.授業の質の低下。

大学全入時代を2010年に迎えた日本はそもそも、学生が少ないからその気になれば定員割れの所謂Fラン大学に誰ても入れるようになった。結果、学生の質が急激に下がり、有り得ない不祥事を起こす新社会人が今尚、量産されている。それらに無償化が拍車をかける事は想像に難くない。たくさんの学生が居過ぎる問題は他にも影響がある。教授陣は先生でなく、やる気のある、応分の能力が有る学生に向けて、教え授けるのが仕事。なので、やる気のない人達に先生として学力向上を請け負う義務がそもそも無い。当然授業の質は人数に応じていい加減になる。学力が向上しようが、しなかろうが、教授には全く関係も責任もない。だから、入試で教授陣の授業についてい行ける人を篩にかけて、選別しているのだ。授業の質が低下して、卒業できない学生が増えても教授は責任がないが、それを商売をしている大学側が許すかは別問題。卒業できない中退者が結果的に量産されたら、大学側は教授に是正を求める。それらは最終的に大学の質の低下を招く。

 

2.大学の学士号の無意味化

質の問題に付随して、学士の称号そのものの信用低下につながる。学問を便宜上修めたから、学士様なのであって、バカが大学出てもバカのままなのである。そんな客観的に見てレベルの低い学生を多く卒業させた大学が、どのこ世界から信用されますか?グローバルが叫ばれている昨今、早晩日本のあらゆる大学は間違いなく今までよりも評価が1段階以上下がります。

 

3.無駄に教育費が上がる。

ただほど怖いものは無い。大学の学費を払わないと言う事はその分の負担は目に見えなくなる。国が払うから。そうなったら、なんたら省の予算分捕り合戦になって、結果担当省が儲かる為にガンガン予算を引き上げますよ?だって国民故人は払わないんだから。見かけ上ただなんだもの。結果、無償化を維持するために税金上げるでしょう?無償化ってそういうリスクを孕むんですよ?当然天下り先も増える。

 

と、細かい事を言うともっと色々あるのですが、それらは他の施策や法律にぶつかるので大きい問題だけ思い付きで上げました。

 

大事なのはベビーブーム世代に合わせて増えすぎた大学の淘汰!今の実情に合わせた統廃合だ。それが出来るのは国が責任を持つ国公立大学国公立大学の統廃合を強力に推し進め、然るべき実力を示した学生には破格の奨学金なり、無償制度を適用して、優秀な学生を優秀な人材に育て上げるカリキュラムを作って実践すればよい。

 

恐らく、そこまで極端な手を打てば、難関私大ですら、国公立大学を脅威に感じ、同じような手を打って学生の囲い込みをするだろう。そうやって、パイを小さくして、優秀な学生には優先的に『能力に応じた教育』が十分に行き渡るように制度設計し直せばいいのだ。

 

今の問題は、優秀なのかそうでないのか判別しずらい事。判別を容易にするには入れ物を小さくして、篩を掛けやすくする事。それだけ。

 

それをするために、憲法改正が必要ですか?

 

要らないでしょ?

 

だから、安倍首相の憲法論議は釣り餌にしか私には見えない。

 

国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ!