トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

ホーキング博士の最後の仕事。

車いすの天才科学者」として知られた英物理学者スティーブン・ホーキング博士が、14日に76歳で死去する直前、宇宙論に関する人生最後の論文を病床で書き上げていたと、18日付の英紙サンデー・タイムズが伝えた。 論文は学術誌が査読中で、内容への評価は出ていないが、宇宙は複数存在し、われわれのものはその一つに過ぎないとする「多元的宇宙」の存在の証明に関するもの。ホーキング氏が存命中に論文の正しさが認められていれば、ノーベル賞を受賞した可能性があったと同紙は指摘した。

 

 

ロンドン共同通信社のWeb記事より。

 

天才の見えていたものは何かまでは解らないが、この論文が精査され発表可能な論文として認められれば、凡人の自分もきっと天才が差し伸べた手の爪の垢くらいの英知に触れる事が出来るのかもしれない。

 

多元的宇宙論とも言える今論文は『無限に広がる大宇宙』と某アニメの始まりの如く壮大な話であり、昨今やっとこ『宇宙の起源とは?』もしかしてこうかも?的な話が出て来たところなのに『やっぱ宇宙はいっぱいありそうだわ(笑)』というちゃぶ台返しも厭わないスケールの大きさがやっぱり天才なんだと思う。

 

そう考えると、仏教哲学における宇宙観が如何に優れているのかが垣間見える。

 

数千年も前の釈迦の時代によくもまあ、あんな壮大な哲学体系を仏教としてまとめ、法華経として編纂し、一教団として成功したものだと驚きを隠せない。

 

人類の不思議というか、生命の不思議というか、よくぞ見えもしない大宇宙の奥底を論理的思考実験の様なアプローチで知覚したもんだと思う。人それを『悟り』というのだろうが、恐らくホーキング博士も似た様な感覚を持っていたのではなかろうか?

 

だからこそ博士は『神は死んだ』的な事を恐れも無く主張したのだろうと思う。仏教では神は存在しない。仏はいるけど。神とは仏または仏法を修行する法華経の行者守る働き全般を指し、その名を『諸天善神』という。神とは助ける働きそのものであり、信仰の対象では無いと言うのが仏教的な立ち位置。

 

こうなるとなるほどだから、『仏教は地元由来の既存宗教とぶつからずに内包出来たのね。』と変に納得してしまう。ヒンズー教の破壊神も仏法守護の諸天善神の一人として勘定されてるからね。

 

仏教という法則を護る『護法の働』を指すのであれば存在そのものは極端な話どうでも良いから、なんでも味方に出来ちゃうのだろう(笑)

 

仏とは超人的な『仏マン』を設定し、そこへたどり着くゴールでは無い。

 

そもそも宇宙に自然に存在する生命哲学、生命論的な法則を目に見える論理体系に編纂して、人類が実践可能にした教科書的な存在を『仏教』と呼称するのだと私は理解している。

 

その仏教内に宗派の違いは有れ、表現されている仏とは究極唯一無二の存在では無く、そもそも、人々に備わっている命そのものを指し、その一側面が『仏状態』として現れる様なものだと思っている。

 

殴られれば、頭にきてやり返す様に、命に何かしらの外的、内的要因がぶつかって、出て来た側面を説いたのが十界論で語られる地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏の人間の10側面だと考える。

 

従って、最高の命の状態『仏』が出てくる要因にぶつかれば自然とその様な状態になり、それが維持できている状態をもって、仏と例えられたのだろう。

 

その到達過程が所謂、『修行』であり、その仏法の実践者を『行者』この場合、『法華経の行者』と呼称する。その実践者たる普通の人を守る働きを『諸天善神』と呼称して、『神』と定義した。

 

故に一般的に語られる『超常的』な神は仏法には存在しない。

 

その感覚に恐らくホーキング博士は近い感覚をもっていたのではとこの記事を読んで思ったと言うお話。

 

なげーな。

 

ごめん(笑)