トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

ちょいと!

まだ書き残したブログが溜まっているのに日記書いている場合じゃないのですが。自殺状況を公開しながら死んだ若者が居るとのことで思わず書き残したくなった。

なぜ、死んでしまったのか。

いや、私は性善説主義者でも性悪説主義者でもない。そもそも生まれた瞬間の人間に善も悪の区別も無い!という知見に私は立つ。その後の教育環境と本人の成長環境と対応が、悪も生み善にもならせるとの認識にが私の善悪観だ。

だから、人が死のうが生きようが知った事ではないし、究極を言えば本人の自由だ!しかし、私は死ぬのはもったいないと思っている。

人間が、もっと言えば生物が物理的な感覚をもって『経験』を積み『感情』を蓄積するのは生きているからこそだ。それが例え生きるのをやめたくなるような辛い事でも死んだら辛さも感じない代わりに良さも感じる事が出来なくなる。なぜいつでも選べる一番簡単で一番残念な結果を容易に選択するのか!

人間生きていれば死にたくなる事なんか10回や20回ザラにある。

各言う私であっても死にたくなる事なんざ10回じゃ利かない。たった30年余りの一生で10回超えるのだそもそもなんでそんな簡単に死を選ぶのか…。辛いと誰かに話す事は駄目だったのか。夜中に大声で叫ぶ事は出来なかったのか。なんでもいい、自分の渦巻く感情を外へ吐き出す事が出来なかったのか。したくなかったのか。

何でもいい。

なぜ死んだ!どうして死んだ!死を選んだ事には文句は言わない。でもなぜ『死』を考えてくれなかった!誰かが励ませたらもしかしたら残念な結果を回避できたのかもしれない。残念だ。本当に残念だ。

自殺の記事は今までにもいろいろ自分の考え方を書いてきた。実際、何千万円の損失を会社に与えてマジで死を意識したこともある。当時はもっと緊迫していたが途中で考えるのをやめた。だって『死ね』って言われて無いし、その方が相手に損させると『結論』したから。私がその分も請けさせてやると思い切ったから。結果上手くいった。

死んだら損なんだ。

取り返すチャンスも無い。これだけは確実にいえる。私は自分を強い人間だと思った事は一度も無い。むしろいい年こいて泣き虫だし、要領も悪い方だともう。でもあえて一ついいところがあるとすれば極端に切り替えが速い。ついさっきまで死に掛けてても次の希望を作り出す道を選び進む切り替えの速さは自分の数少ない才能だと思う。

だってもったいないもの。

どん底の地獄だって見方を変えれば『貴重な経験』だし、そこから復活したらその経験談はもはや売れるレベルの体験談だ。

もしどん底から這い上がれなかったとしても、その経験を残す事は無駄じゃない。きっと他の人の役に立つ。死んだらそれも出来ない。

どん底の人は考えて欲しい。今でなくてもいつでも死ねる。とにかく今、死ぬな1日でもいい生きて考えてみてくれ考えて少しでも欠片でも死に疑問をもったらもう1日生きてくれ。その繰り返しは必ず次の希望につながっている。希望を見つけたらもう一度歩いて欲しい。きっと自分以外の希望に生きる人物に出くわすだろう。そうしたらどん底の地獄体験を語り合って欲しい。きっと自分が見ていない別の地獄を彼は語るだろう。そのとき気が付くかもしれない。自分だけじゃないって。そんな事でもいいからとにかく今死ぬな!

頼むから生きてくれ。

死を煽った奴。勝手に煽るな。あなたは彼の死に責任が持てるのか?