トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

インフラの再生は絶対意味がある!

西日本を襲った記録的豪雨など自然災害の頻発を受け、インフラの災害対策を進める国土強靱(きょうじん)化が政府の予算編成の焦点に浮上してきた。10日に概算要求基準閣議了解した2019年度予算での手厚い計上のほか、18年度補正予算を秋の臨時国会で組むべきだという声も自民党内に出始めた。来年の統一地方選参院選にらみ歳出圧力が高まる。

 

 

日経新聞記事より。

 

相変わらずこの国は人柱が立たないとなんもしない国なのだと思う。

 

インフラの再建は急務で、水道管の老朽化や道路や浄水設備など耐久年度を迎えつつあるインフラは山ほどある。

 

専門家はいつもそれを指摘していた。

 

何度も言うが、こういう公共性の高いものを借金してでも直せるのは国だけだ。

 

儲け度外視で公共工事を組めるのも国だけ。

 

なのに老人の健康保険や年金にはじゃぶじゃぶ金をつぎ込めても明らかに公共性があり、老若男女受益がある公共工事のインフラ再生には金をつぎ込めない理由は何?

 

国がガンガン発注してゼネコンでも地元企業でも設けさせればいいのよ。地方に任せずに一気に日本インフラ再生計画をやります!と国が言えば設備投資なんて笑っちゃうほど増えるよ?

 

なぜできない。

 

無駄な空前の予算案を作るくらいなら必ず物が残るインフラ整備をやったらどう?

 

車の高総則道路を再生するくらいなら、自動運転車専用道路を今の高速道路の上下どちらかに並走させて作ったらどう?

 

日本の土木技術なら出来ないことはあるまい?

 

なんでも試せよ当たれば儲けモンじゃね?

高齢者に席を譲るのは自身の矜持。

高齢だから、という理由だけで優先席は要らない。50歳を過ぎたら、本当に座らなければならないほど苦しくなったときに備え、原則、電車やバスの席に座るべきではない。座らない癖をつけよ。それが自分のため、それが体力づくりのためだ。

そして、自分が座っている前に若者が、なにやら疲れた様子で不機嫌そうに立ったら、すかさず立ち上がって席を譲ろうではないか。立ち上がって、次のように言うのだ。

「どうぞ、お座りください。私たちがこうやって暮らしていけるのも、年金のおかげ。その年金や医療費は、あなた方のような若い人たちが一生懸命働いてくださるから。えぇえぇ、感謝してますよ。どうぞ座ってください。そして、お疲れを取って十分に働いてください」

そう言って慇懃に話しながら座席を譲るのだ。そういう老人、年寄りが増えれば、若者は、かえって老人に敬意をもつようになるだろう。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

当方40代ですが、徹夜続きでクソボロボロでも、必要とする人が居れば席を譲る。

 

ガラ空きでも、立ってる事もある。

 

逆に席を譲れと宣う似非高齢者が居たら死んでも席は譲らない。

 

敬意とはそう言うもんだ。

 

仮に自分が爺になって70代になっても、そうは成りたくない。ジジイの矜持として、死んでも立ってたい。

 

以前にも日記に書いたことがあるが、50代で早期退職して、猟師になって、出来れば野垂れ死んで墓場へ行きたい。体が動く限りは現役で兎に角何かしら仕事がしたい。働きたい。

 

それが叶わぬなら、自死もやむなしと思うが、それは負けを生き物として認める事になるからしない。

 

生き抜いて、野垂れ死んだら、墓はあるので、弁護士に遺言でも公文書で託して、墓へ埋葬してもらう。勿論その費用は前もって準備して置いての話。弁護士に頼んでおけば出来ないことは無かろう。

 

そうやって、生き物としての命を全うしたい。

 

だから、やれお年寄りが席を譲られずに転倒したら一生モンの怪我をするとかいうのはバカバカしく聞こえる。だったら、今死ねや。一生ものの怪我を負ったって、どうせ老い先短いだろうに。だったら、家から出るなや。

 

一歩外へ出たら、食い殺されても不思議はないのが、外界。たまたま人類だから、他の猛獣、猛禽類に出会わない環境で暮らしてるだけ。

 

その代わり、事故や病気で死ぬんだから。

 

自分の命の始末は自分でつけろよ。いい歳こいて情けない。

桜花忍法帖について言わせてほしい。

バジリスク桜花忍法帖について少し語らせてくれ。

 

色々叩かれているけど、本当に期待していたんだ。

 

バジリスク甲賀忍法帖が大好きだったから。山田風太郎の作風をあれだけ迫力ある絵で再現できた漫画は無いと思うし、同じくアニメも無いと思う。

 

ちょいエロVシネくらいの扱いしか受けてこなかった山田風太郎の作品が初めて正当に評価されしかも再現されたと私は思っていた。そんなとても気に入っていたバジリスク甲賀忍法帖が、色々紆余曲折はあっても続編として戻ってきたのは正直嬉しかった。

 

ところがだ。

 

どう贔屓目に見てもあれは忍法帖シリーズと言うにはあまりにもお粗末。

 

そもそも、ストーリーからしてなんも共感できん!

 

一個一個が意味解らんし。よくも作者が原作引き受けてくれたと本当に感心する。同じ山田性だけどえらい違いだ。そもそもSF作家の重鎮だし。

 

忍者が弱すぎるし、逆に雑魚が強すぎるし(笑)

 

陰謀もクソもあったもんじゃない。

 

最近のラノベでももう少しまともな筋書きを考えると思うぞ正直な所。

都合よく薬師寺天膳が蘇るし(笑)しかもおまけの方。

 

破幻の瞳で破壊されたんじゃ無かったでしたっけ?

 

百歩譲って、八郎と響が生まれた事を良しとしても、あれじゃあ、甲賀弦之助が浮かばれん。

 

朧だって、なんだよあの扱いは・・・。

 

悲しすぎる。

 

という訳で、桜花忍法帖はどうにも賛同できない。

生前葬について。死ぬことと見つければ?

最近は自分自身のお葬式の事前相談にいらっしゃる人も増えています。その男女比率は、男性が3割、女性が7割程度。性差による偏りがある原因ははっきりしません。しかし相談内容を聞いてみると、女性に比べて、なぜか男性は「自分の死」について考えることをとても嫌う傾向があります。

実際、「自分はエンディングノートを書いたりして終活を楽しんでいるのだけど、夫はすごく嫌がっていて。サラリーマン時代はあんなに仕事は準備と段取りが大切ってうるさい人だったのに」とおっしゃる奥様の声も良く聞きます。

自分のお葬式のことすら考えるのがイヤな男性が、わざわざ生前葬をしたいとは思えません。

冒頭で紹介した安崎氏の場合、死期を悟ったうえで、生前葬という粋な人生の幕の引き方をしました。彼の生前葬が耳目を集めたのも、自分には到底まねできないことをやりきったことへの羨望もあるかもしれません。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

女性は共感力の生き物だそうなので、恐らく終活も楽しめるのだろう。

 

だが待ってほしい。元々、死ぬ覚悟を決めていたのは男性側だぞ?

 

『武士道とは死ぬ事と見つけたり』これは『葉隠』の中に出てくる有名な一文です。

 

鍋島藩士で出家した山本常朝が書いた訳ですが、死の覚悟を朝な夕なに固めるからこそ、武士は死の間際において、大将の為命を張れるし、いざという時に慌てないという意味合いで使われています。

 

曰く、夜寝て夢を見るなら、出来るだけ悲惨な死に様を夢に見よというくらい武士は徹底して死を見つめてきました。

 

まあ、武士は精々1~3割程度でほとんどの7~9割は農民だった訳ですから、武士道をわきまえる訳にもいかないのは理解しています。ただ、少なくも表立っての部分は女性よりもむしろ男性の方が、死ぬことについて真摯に向き合っていた歴史があるということです。

 

であるならば。

 

なんで今更、こんなみじめで女々しい態度に出るのか?

 

それが私には情けなく感じます。

 

葉隠れには敵いませんが、いつも朝起きて、出社するため家を出るときに、『今日死んでも我が人生に悔い無し。』と呟いてから、家を出る事がいつの間にか習慣になっていました。多分、一回過労で死にかけた26歳から27歳にかけての頃に勝手に始めた習慣だと思います。さすがに40を超えた今ではそんな感じでは無く。『もう人生の半分は生きたから、死んでも悔いはない。』『生きてたら丸儲け。』と思って、出社してますが(笑)

 

本当にいつの間にかやっていたので認識したのは29歳くらいになってからです。『あれ?なんでそんなことしてるんだろう?』とある日突然気が付いたのですが。

 

今はしっかり、意識してやっています。

 

ある種の覚悟が毎朝定まるこの習慣はけっこう自分でも気に入っていたりします(笑)

 

仏法の経典には『まず臨終の事を習い覚えよ』という趣旨の言葉があります。

 

これは死は生きている以上一定であり、不要に死を恐れる事で招く災いを除く意味があります。結果、覚悟が決まっている方が、いざという時に強いって事らしいです。

 

それだけ、女性の方が肝が据わっているのですから、世の死意識したくない男性は女性に従えられるのが、似合っていると思います。

 

最低限対等になる為には死を見つめる強さを身に着ける事ですね。

保育事情の本質はそこじゃねーだろ?

「不承諾通知狙いの入園申請」は全体の申請数から見れば少数です。現在、多くの親たちが、1年間で最も保育園に入りやすいとされる4月を目指して保活をしている実態があります。

その結果、入園事情の厳しい地域では0歳の4月に育休を切り上げて復帰する人も少なくありません。切実な思いをかかえて保活をしている多くの親からは、「不承諾通知狙いの入園申請」の話題は違和感をもって受けとめられたと思います。

その一方で、「働き方改革」が進まない職場への不安もあり、もう少し子育てにゆとりをもちたい、比重をかけたいという思いも強くなってきていることを感じます。

筆者が代表を務める「保育園を考える親の会」で、「いつでも希望する時期に認可保育園に入れるとしたら、育児休業をいつまでとりたいか」とアンケートをとったところ、「1歳半ごろまで」が最も多く36%を占めました。次いで「1歳まで」が27%、「2歳まで」が14%でした。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

働き方改革に合わせて、育児休業制度が論議されて、上記のような問題が取り正されているが、これは物事の本質からずれてないか?

 

いや、詐欺的な手段で、育児休業を伸ばすかとを良いとは言わない。そうではなくて、育児休業自体必要なのだから、そもそもなんで『2年を固定化できないのか?』という話が私には理解できない。

 

雇用保険の費用がかさむとか、ただ貰いだとかの批判が、あるのだろう。しかし、そうではない。そもそもなんで、ズルい手段を用いて、『育児休業をより多くとる必要があるのか?』という点だ。足りてないのだよ。休業期間が。もしくは休業期間が短くてもやって行ける環境が整備されていないのだよ。

 

だから、そういう手段に出る。つまり、ニーズがそこに存在し、それが満たされていないという本質論が抜けていると私は思う。

 

目的はあくまでも働き方改革による少子高齢化の解消だろ?

 

だったら、法律を厳しくするのではなく。必要な事はは使える状態に法整備をすること。

 

潜在ニーズを読み違えず、汲み取って欲しい。こういう部分にこそ、NGOなど民間を突っ込むべきだと私は思う。

 

ニーズを掌握して商売として儲かるようにすればあっという間に片付くと思うんだけどな。病児保育を得意とするフローレンスさんあたりが妙案持っていたりしないのかな?

大学再編は急務である!

大学を減らす仕組みを作ることのほうが、今後の人口減少社会を考えたとき、はるかに建設的と言える。

そもそも、私立大学という私的な組織に多額の税金が使われていることには、以前から憲法89条の「税金を私的企業や団体に交付することを禁止する規定」に違反しているのではないかという指摘があった。教育機関だから特別扱いすることで、これまでスルーされてきたのだが、国際的に低いランクに甘んじている日本の大学の現状を考えると、助成金制度が功を奏しているとも思えない。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

私大の再編について語られた記事の最後の部分。

 

元々、私は私大の再編を早めるためにまずは国が直接影響力を持つ、国立大学の再編を急ぐべきとの考え方だったが、こうなると、私大再編も並行してよいのではないかと思ってきた。

 

少子高齢化がさらに加速する日本において、大学教育を始めとする教育再編こそが、今後の将来をよりよく発展させてゆく大事な投資になるだろう。その急先鋒、教育の根幹である大学学府を再編するのは本丸中の本丸だと私は思う。

 

はっきり言って、今の日本の大学教育は玉石混合が激しい部分もあるが、玉が少ない。海外の一流大学から比べればその能力低下がはっきり表れている。フォーブスとかで世界有名企業トップ100とかやるでしょう?あんな感じで、日本の大学のいったいどれだけが世界トップ500大学に入っているか?他の先進国から劣るのもさることながら、発展途上国の一流大学にもはっきり言って負けている。

 

そんな日本に将来を維持できる優秀な人材が果たして育つだろうか?

 

答えは聞くまでもなかろう。

 

昭和の時代、現代のノーベル賞ラッシュを維持しているのは間違いなく詰め込み教育の受験戦争時代があったおかげだ。だからと言って、その時代の教育に戻せばいいという話ではない。今の時代にはそぐわないから。

 

今後、国の将来を意識した教育を組み立てどんな人材を育成するのか。そういう構想のものとに教育改革を行い大学再編をやって欲しい話だ。

 

戦前戦後は明確な目標があった。西欧列強に追いつけ追い越せという目標だ。

 

今は違う。

 

あらゆる事が一元的に解決することが難しい昨今、大事なのはどれだけ柔軟に発想し、スピード感をもって前進後退が可能な人材を作るかだ。

 

昭和から平成は正確な答えをどれだけ早く出せるかが必要な時代だった。いまは解無き答えをいかに絞り出すかが大事な時代。あらゆる環境変化に対応する柔軟性が必要だ。

 

私は生物学をやっていたので、その辺の感覚はすごく馴染み深い、進化の究極は常に生き残り。どうやって、急激な環境変化に適応するかの戦いだから。環境を味方につけるもよし、環境になじむのもよし、また環境に負けない強さを身に着けることもあるだろう。

 

万物の霊長などと浮かれている人類の中で、いまだにほぼ単一民族を守ったまま発展した稀有な島国日本にこれからの期待を寄せるなら、兎にも角にも、将来の教育を改革して欲しいと祈るばかりである。

 

アメリカの中国に対する企業防衛は意味があるのか?

米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は24日、トランプ米政権が策定している中国企業の対米投資制限について、中国資本が25%以上の企業を対象にする検討に入ったと報じた。重要な技術の輸出も規制する。6月末までに規制の原案を発表する予定。制裁関税に続いて中国の知的財産侵害への対策を強化する。

 検討中の規制案は中国人投資家が25%以上出資する企業が、重要な技術を持つ米国企業を買うのを阻止する。中国の国有企業のほか、中国資本の傘下にある企業、外国企業が中国と設けた合弁会社が規制対象になる可能性がある。同紙によると、25%の比率はまだ決定していないという。

 

 

日経新聞記事より。

 

中国企業は産業スパイさながらの事件性の高いことをアメリカ企業に起こしたことがニュースになっている刑事事件だけでも数件ある。

 

一番有名なのはNASAの職員だった中国人がNASAの情報を流していた件だろう。

 

これにより、中国人職員が一定の職域から叩き出された。当たり前だろう。全員を排除しなかったのが、アメリカが多民族国家なので良心があったということだろう。

 

株式の25%を中国に取得されている企業とは中国本土側の意向を受ける事があり得る企業とトランプ政権は判断したという事だろう。

 

日本も観光地の土地を中国企業や中国人個人が買いあさっている実情があるので、こういった規制はちゃんと事実関係を見極めて、整備の必要があると思う。買われたもんは何をされてもとりあえず外野は口を出せないので、法整備をしっかりやってほしい。