トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

経営者の信頼とは?

ユニ・チャームの高原社長が日経新聞に経営者ブログを毎週木曜日に寄稿しています。台湾での経験が現在の経営に生きていると言う話をされていましたので記事を抜粋してみました。

(新聞記事抜粋)

計画決定までの一連の手続きを通じて、経営層は現場の生の情報に触れ、目線を共有することができます。現場の社員は経営層との対話を通じて、経営者の「視点、視座、時間軸」を学べるため、相互理解が進みます。現場と経営陣が努力の先にある目的を共有することで、社内に厳しくも心地よい一体感を醸成できるのです。

 日々の工夫や知恵が現場と経営の間を行ったり来たりする「振り子」のような共振。これこそ、私が目指す「現場の知恵を経営に生かし、経営の視点を現場が学ぶ『共振の経営』」の出発点です。

 計画段階での徹底したすり合わせは、実行段階で発生する様々な問題の打開にも役立ちます。部門や階層を越えて自律的かつスピーディーな対応が可能になります。いまでは、グループ方針の発信から、最終的な現場の実行計画までの流れが整理され、計画立案のための手法やフォーマットも確立できました。人材育成の観点でも効果の高い取り組みになっています。

なぜ、現場と経営陣の「共振の経営」という考えを持つようになったかと言えば、私が台湾で経験した強烈な経験がきっかけになっています。

台湾法人は、現地のパートナーとの合弁で1984年に設立しましたが、創業から10年を経た赴任当時は、2億円を超える赤字を抱えていました。役割分担として、生産・開発、マーケティングはユニ・チャームが、営業はパートナー側が担当することになっていましたが、過去10年間には様々な失敗があり、その原因をお互いになすり付け合っていて、約230人いる社員の士気は極めて低い状況でした。そんなところにユニ・チャームから私が赴任した訳ですから、最初の雰囲気は最悪です。

 まず、パートナーである董事長(日本における会長)に私の人柄と、台湾法人の立て直しに対する真剣さを認めてもらうために、社用車を廃止し、役員クラスが泊まる高級ホテルをキャンセルして事務所近くの古びた安宿で荷物を解きました。後にアパートを見つけ引っ越しましたが、その安宿はいわゆる「連れ込み宿」の類であることを知らされ、さすがに赤面しました。

 それでも、しょっちゅう停電や断水、雨漏りするような宿に泊まり、徒歩で移動し、露天の食堂で食事をすることで、台湾での金銭感覚や生活習慣を身に付けることができました。肌で感じ取った庶民の感覚や、何を求めているかといった現場感は、その後の変革をリードする際に大きな武器となったのは間違いありません。多分、ふかふかのベッドに泊まり、社用車で移動していたら、学ぶことはできなかったと思います。また、そのようなことをする日系ビジネスマンは当時でも珍しかったようで、董事長の耳にも入り「どうも、高原は本気らしい」と感じてもらえたようです。

また、董事長の長男が、総経理(日本における社長)として経営の陣頭指揮をしていましたので、まず彼を味方につけることを目指しました。文字通り「四六時中」行動を共にし、お得意先を訪問し、工場の改善現場に出向き、気になることは、どんなに細いことでもとことん議論するようにしました。あまりにいつも一緒なので「あの二人は、いったいどんな関係なんだ?」と現場の社員からいぶかしがられる程の間柄です。ちなみに私の宴席でのお酒の飲み方は、台湾で彼から教えてもらったもので「一人で勝手に飲まないこと」「いつでも乾杯で文字通り飲み干すこと」などは、今でもなるべく実践しています(笑)。


 しかし、当時は若かったこともあって、壮絶な飲み方をしました。営業支店の商品置場の片隅に縁台のような椅子を集めて、これに現場の社員30人ぐらいで、とことん飲みながら対話しました。最初は遠慮したもの言いだった社員たちも、酒が入るにつれて遠慮がなくなり、最後は地団太(じだんだ)を踏みながら「ユニ・チャームの商品は、本当はもっと安くしないと売れないんだ!」といった本音を語ってくれるようになりました。多分、当時本社のあった品川にいたら、一生耳にできないような貴重な意見ばかりです。もちろん、こちらも負けていません。「なんで、分からない!将来を考えれば、いま手を打たなくてどうする」と私も経営陣の考えや思いを直接、伝えます。怒鳴りあうような飲み会は、毎回深夜に及び、そのまま空の段ボール箱を布団代わりに寝てしまうこともありました。そんな無茶な酒宴ではありましたが、下戸の社員に議論の経緯を全てメモに取らせ、翌朝一番に私と総経理に持ってくるよう指示をしていました。二日酔いでガンガンする頭を寄せて総経理とメモを吟味し、解決できることから即、実行したのです。

このように裸で現場に飛び込み、最前線の生の声に触れ、一緒に問題を見つめ、できることからすぐに解決することをくり返した結果、徐々に信頼をかち得るようになりました。このときに「現場の知恵を経営に生かし、経営の視点を現場が知る・学ぶ」ことの大切さを痛感し、その一連の様子を表すのに「共振」という言葉がふさわしいと感じました。その後、台湾では「共振」した社員全員が、改革目標を腹に入れ、改革のための計画を着実に実行に移すことができたため、程なくして黒字体質に転換することができました。この台湾での経験以来、「共振」は私が経営を実践する際のより所となりました。

(記事抜粋終わり)

とても真似の出来る内容ではありませんが、『想い』の部分は非常に為になると思います。こちらで赴任していて高原社長と同じように実感するところもありました。ユニ・チャームがなぜこれだけの成長をしているのか。どうして利益が出るのか。結局のところ、社長の器で会社は決まると言う事を改めて感じました。結局たった一人からしか改革は始まらず、誰かがやるような事でも無い事がわかりました。自分の会社に置き換えても同じようにトップの意思が会社の隅々にまで行き届いて始めて会社の組織に血が流れ、躍動するのだと感じました。