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元天才子役のその後

「公園でビールを飲んでいるところを撮らせてくださいと言われて応じると、寂しそうな絵面だけを使われて『昔は六本木で楽しそうに遊んでいたのに今は…』と報道されてしまう。いや、そうじゃねぇんだよ。公園でビール飲むの、すげえ楽しいぞ。仕事だってすげえはかどるぞって言ったところまでは使ってもらえない」

 8月5日の昼下がり。炎天下のなか、俳優の黒田勇樹さん(33歳)と東京・吉祥寺駅で待ち合わせをした。つらい時期によく通っていたという井の頭公園は、今でも月に一度は訪れている。原稿を書くにも、セリフを覚えるにも、緑のあるところでやるほうがグンと集中できるという。芝居稽古の合間や楽日が終わって打ち上げが始まるまでの微々たる時間でも、コンビニで缶ビール1本を買い、近くの公園や河原へ出向いて、ひとり緑を眺める。ちょっとした隙間時間を使った貴重なリセット・タイムだ。

黒田さんはこの後、公園で昼間から飲むビールは至極のうまさなのにそこはマスコミに取り上げられず、『転落した元俳優』みたいに書かれるのが嫌だとコメントをのべていた。役者を辞めた後も、楽しみをもってしっかり生きられることを発信したくて今の『ハイパーメディアフリーター』という肩書でバイトの傍ら情報発信を行っているのだそうだ。

これは重要な生き方発信だと思う。その人の今が『幸せな人生』なのかどうかは『相対的』に第三者が判断するべきものでは無いと思う。色々悩みや障害が有る中でも、結局その当事者が『幸せ』だと思っていれば他の誰が何と言おうと幸せなんだと言える。

例えば歴史に名を残す文豪ゲーテはあれだけ有名で且つ優れた業績を残しているが、最愛のお子さんには先立たれてるし、借金苦で文筆業を続けざるを得なかったと本人も述べている。それでも人生は素晴らしいと言い切る彼は果たして幸せだったのか不幸せだったのか?

歴史の偉人を引き合いに出しても、幸せか不幸せかは第三者が判断する問題では無い事が見えてくると思う。相対的幸せは他人が決める事が多いかも知れないが自分自身が決める絶対的幸せはその本人次第だと私は思う。

その前提に立って、黒田さんを見るときっと彼は今、幸せなんだと思わざるを得ない。