トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

少子高齢化なんて生ぬるい世界。

私が好きな学者に藤田孝典さんがいる。『貧困世代』とか『下流老人』と言えばピンと来る人もいるのではないだろうか。

 

恐らくジャンルは社会学者だと思うが、実家の近所にある聖学院大学の博士課程前期を終了された聖学院大学社会福祉学部客員准教授が彼の肩書の一つだ。

 

その他に貧困問題を取り扱うNPO法人代表理事もされている。

 

特に下流老人はNHKでも映像として放映されたから、インパクトがあった。

 

言っている事は衝撃的だが、的を得ており、実証データもおおよそ一般化されたところからの引用で、よくある怪しげなデータで、無駄に恐怖心を煽るようなアホ科学の類でないというのは一見して解る。

 

社会学者特有の情報分析に長け、問題点を抉り出す能力は高いと思う。加えて、実学ともいえるNPO法人の代表として、現場に社会福祉士として入っており、行政の水際戦略も、正面から突破して、問題に微に入り細に入り、実践の場で奮闘しているのは評価できる。机上の空論では無く、現場の声を上げているのが素晴らしい。

 

ただ、実践の内容は素晴らしいし、政治的、社会的メッセージも全くその通りなのだが、どうにも私には払拭できない想いがある。

 

確かに自分も失われた20年とか、ロストジェネレーションとか、言われていた世代のど真ん中なので、言っている事は解るし、それが個人では対抗でき得ない大きな問題というのも理解できる。

 

ただ、それに対応できてしまう人間も中にはいるのだという視点が、どうも抜けている様で。そこが置き去りになってしまうのが気にかかる。

 

何が言いたいのかというと。弱者救済は必要で、それには論を待たないが、もう一つ。他者理解が必要だと思っている。

 

敢えて『他者』と使ったのはその他者には所謂、勝ち組が入るからだ。つまり、現状の社会で藤田孝典氏が、運良く持つ者側に回った人たちの事だ。本人の努力もあったにせよ、生まれた時から、環境的にラッキーだった部分を多く持つ人たち。その人達にも訴えかけ、問題を共有し、理解して、援護してもらう必要性については論じられていない。

 

そんな暇も余裕もない、喫緊の課題を取り扱っているので、本には載ってないだけなのではないか?という疑問が、気になって仕方ないのだ。

 

 

私があえて『その人達』と表現したのは貧困に陥っているか、プレ貧困を抱えている人以外には全体から見たら少数派ではあるが、『普通』と言える人たちがいる。おそらく3~4割程度。この人たちも味方になってもらう必要があると思うので、その人達とした。

 

所謂、超絶勝ち組は理屈は解っても、援助や社会情勢を変える力にはなり得ない。下手をすると敵に回るだろう。だからと言って、端から切り捨てては、きっと最後まで敵のままだ。敵をも味方にする考え方が貧困問題解消には私は必要だと考えている。

 

そして、事の重大性に気が付いていない人が多い、『普通の人』層の人たち。ここへは理解と共感を持ってもらい出来ればこっち側について欲しい。でないと政治を動かすのは難しい。結局、貧困問題は政治的威力をもって、解決に導く以外、個人的なパワーでは限界がある問題だから、どこかしらのタイミングで政治的メッセージの発信は必要になってくる。

 

で、

 

かく言う私はどのパターンに属するか?

 

どこにも属さない(笑)

 

比較的、普通層に近い位置にいると思うが、そういう貧困問題の重要性と大きく遅れている政治的ハンデを知って、『逃げ出す』という個人的オプションを準備した口だ。

 

例えば日本で生活した場合。

 

色々細かい所は省くが、お金を使わないで、老後を過ごせるような生活の仕組みを構築中だ。貨幣経済から外れる。これ環境さえ整えば個人単位でいくらでも確立できる。たとえば、自給自足の様な環境を個人で整える。具体的には雨風を防げる住み家と自作農園程度畑を持って、自前の食料調達手段を持てばまあ、生きては行けるといった具合。

 

だだし、これでも最低限の水道光熱費は『お金』で支払う必要がある為、完全ではない。これにひと工夫して、私の場合、あわよくば完全に自給自足できる体制を整える準備をしているといったところだろうか。

 

これが、国籍はそのままに、海外へ脱出となるとパターン2の日本以外で暮らすという対策になる。これなら、日本の行政がどうだろうが、貧困層がなんだろうが、関係ない。自分が一代限り何とかなればいいのなら、あと最低50年は海外で暮らせるだけの資金が60歳までには手元に残るので、まあ対応可能だろう。

 

で、そういう問題に気が付いており、独自の対策を行っている層についても言及がない。当たり前だが。私が言いたいのは、問題を解決するのに結果的に問題の対象だけに力の集中を強化しすぎるとかえって、問題が解決し辛くなるという視点が必要ではないかと言いたい。

 

良きにつけ悪しきにつけ民主主義は多数決だ。特定の問題意識を持つ人の数を過半数にしなければその問題は絶対に満足行く形で解決しない。

 

そういった意味で、問題の対象である層の他に、問題の層ではない層を理解し、そこへ戦略的にメッセージを送ってくれるサポートメンバーが藤田孝典氏の周りには必要なのではないかと思った次第。別階層の理解者と言い換えても良いだろう。きっと彼を支援する層の中では異端であり、少数派だろうが、力になる少数精鋭の人材群ではなかろうかと思う。そういう支援者が居ればの話だが。

 

日本に帰ったら、その辺アポ取って直に聞いてみようかな?