トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

貧困について

子供の貧困についてのニュースがあったので所感を書きたい。

(以下本文)

子どもの貧困について考えるシンポジウム(埼玉弁護士会主催)が24日、川口市内で開かれ、約300人が来場した。現役高校生や教育関係者、弁護士らがそれぞれの立場から現状を訴え、貧困の背景にある問題とその支援策について、社会全体の取り組み方を議論した。

県内の公立高校に通う2人の男子生徒が家計の窮状を報告。2人とも母子家庭で育ち、生活保護費を受給し暮らしている。生徒らは「母親が市役所に相談に行ったら、生活が苦しいなら、野球部の部活を辞めればいいと言われた」「電気代や水道料金も払えない生活から抜け出したい。就職に有利な資格を取りたいが検定料が高くて払えない。学費や資格取得費用を無料にしてほしい」など、苦しい胸の内を明かした。

(本文終わり)

中国に来て考え方に変化が起きた。以前ならそんなもん自己責任じゃ!なんとかしたきゃ自分で何とかしろ!と平気で言っていただろう。でも今はちょっと違う。『貧困の経済学』という本をこっちで読んだ。もちろん購入は日本だ。

脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる

脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる

貧困は『個人の努力じゃどうにもならん』というのがこの本読んで得た結論。いや誤解を招きそうな結論だから補足するとこうだ。

例えば戦後の日本は間違いなく貧しかった。これも一つの貧困状態だがこれは『個人の自己責任か?』ってこと。

失われた10年とかロストジェネレーションとか言われているがそれはすべて自己責任なのだろうか?簡単に言えば企業の業績が悪化して人が雇えなくなったから食いっぱぐれたって事でしょ?バブル期には我らロスジェネ世代よりよっぽど使えない人がいい企業に入って最近リストラされたって事。それは突き詰めれば経営陣が先見性が無く、間抜けだったということ。そしてそれを想定しなかった政治が間抜けだった。そしてそれを見抜けない盆暗を選んで権力を持たせた有権者がバカだったという話だと理解した。

ではどうするか。

変えればいい。間違ったのだから。修正すればいい今からでも。それを今、新聞をにぎわすのは『中国にすべて買われてしまう日本!』馬鹿か?んじゃ聞くが日本がバブルでアメリカを買いあさったとき日本人がアメリカの政治を乗っ取れたか?日本に優しい外交に宗旨替えしたか?しないだろ?それと一緒だ。

そんな記事に踊らされて中国人を排斥するよりも、今の現状を変えていい結果が出るようにやり方を修正する事だ。その方向性に多くの国民が目を向けることだ。何でもいい。この抜粋記事は川口で行われたシンポジュームの記事だが我々の身近で貧困は浸透しつつある。これが、世代を超えて定着したら階層の流動性が失われて金持ちは金持ちゾーン、貧困者は貧困ゾーンに固定されてしまう。

これだけ好景気な中国はまさにそれで、身分、学歴の差がそのまま階層差として固定されている。20億の日本のビルを買う中国人は1日中ゴミ箱漁って5元10元を稼ぐ人の生活なんか気にもしないのだ。日本にはそうなって欲しくない。日本人の『ゆとり』といわれる彼らは1ヶ月バイトすれば15万フリーターでも稼げるこれは中国の田舎の年収に当たる。これが『自己責任』でクリアされる話か?ちがうだろ。どんなに頑張ったって中国に居たら『ゆとり』の馬鹿の方が稼げるんだよ。

だから、せめて教育の機会、最低限の生活保障は例えその人間が怠けているように見えても『チャンス』として与えなければならない。そのための方法や施し方は『時代』に合わせて工夫の余地があると考える。その工夫の余地が政治じゃないのだろうか。こっちに来て如実に感じる。このままでは日本は自分の力で終わってしまう。力も熱も残っている内に反転攻勢に転じて欲しい。私はその為に何が出来るのだろうか?