トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

結婚を考える

ネットの記事抜粋。

『将来を意識してモテない男性にアプローチをかけてくださる女性もいますが、こっちも能天気じゃありません。


地位ができて小金が貯まると、男も警戒心が強くなります。近寄ってきた女性に対しても「どうせ金目当ての妥協だろ?」なんて考えてしまいます。


男は一人でいる間にいろんな趣味も持ちますから、それを邪魔されたくもないですしね。


正直言って、自分が一人で頑張って築いた財産を、その間他の男と遊び歩いていたような女性に使いたくありません。器が小さいと言われるでしょうが、これが本音です。』


これは偽らざる本音だろう。私もこれにかなり近い感情がある。もとより、私は結婚否定派なので、なんとも良く理解できる話だ。


この記事の筆者だけに留まらず、傾向として理系男子はその行動の合理性からして完全に非効率、不合理な結婚と結婚生活に対して否定的なイメージを強く持っていると思う。


私もそうだ。そもそも、10年前に比べて働き盛りである30〜40代の年収が国単位の平均で200万円近くダウンしているのだから、いわゆる旦那が働いて奥さんが家を守るタイプの専業主婦計画は既に家庭株式会社の経営戦略として破綻している。


これは全体の10%に満たない年収700万円超もしくはその僅差で追いかける年収600万円超の個人が可能な戦略である。


これが、世帯年収とすると話は変わる。


例えば旦那の給与が年収400万円(手取り300万円超)奥さんのパートが月7万円として年収84万円。合計384万円。月割りで手取りベース32万円。これなら関東近郊でも生活可能な資金レベルだと思う。


無駄遣いしないのは前提だが、余程の住環境、及び生活環境を選択しなけば普通に暮らせる金額で、貯金も可能だろう。ただし、子供がいないDINKSに限る。子供が欲しいとなると予算内容を変更する必要がある。それは、子供の養育費を捻出する為に予算執行内容を見直さなければいけないからだ。


これは家庭株式会社のキャッシュフロー(資産、預貯金)を維持して考えた場合。毎月の貯金、資産運用額を減らして子供を養育する場合は考えなくていい。


ただこれも夫婦共働きが可能で最初の条件、夫の年収手取り300万円超、奥さんパート年収84万円が確保されれば問題ない。このパート年収は実はまだ余力がある。5日フルタイムパートならあと1〜2万円は給与の上乗せが可能なのだ。非課税額ギリギリを狙えば生活レベルを若干向上できる。


ついでに、旦那の給与も正社員であれば400万円超手取り額350万円前後になる可能性が残る。


そして夫婦になれば生活インフラは共有されるのでコストも抑えられるから工夫次第で充分生活可能になるだろう。こういった建設的意見交換が可能な女性ならばおそらく先の記事の男性も聞く耳を持つのではなかろうか?


私は結婚否定派で、それは今も変わらないが、きっと近い将来今の彼女と結婚するだろう。


なぜか?



合理的判断や理屈を超えて『必要性を感じる存在』というものが有ることを認識してしまったからだ。機能的理由はいくつか有る。掃除、洗濯、整理、整頓、片付け物、データ管理など物を片付ける能力に彼女は秀でていて私はそれが大の苦手だ。やらなくもないが、全く維持できない。彼女は何の苦もなくそれを維持する。料理も人並みに作れるが、ここに関しては私の方が遥かに腕前が上なので任せる気になれない。不味い物は不味いので食べたくない。まあ、彼女の料理が不味いのではなくより美味しいものを自分で作れるからわざわざ食べる必要が無いと考えてるだけだが。


でも私は彼女の機能的理由で結婚しても良いレベルだと判断したわけではない。それは後から、そう言えばそんな利点もあるよな?と思いついた話だ。


根本はもっと違う。


理由も理屈も解らなく、彼女の存在が私にとって必要だと直感したからだ。だから困る。合理的に理由を見つけようにも見つからない。機能的理由をつけてみても納得できない。しっくり来ない。では客観的にどうか?例えば容姿。例えば経済的理由。どう考えても、特筆すべき理由にならない。


結果、一人で生きる方が間違いなく『楽で自由』だ。


それだけ『好きなのか?』と問われても多分すきなのだろうとしか答えられない。『目がハートになって何も見えないで好きだ〜!』となっていないから。好きとか嫌いとか以前に『必要』なのであって必要だなぁ〜と感じていたら、好きになったのである。


必要なのだがら無いと困る。


逆にそばに有ると助かる。



ものみたいな言い方になるが、彼女の存在感はまさに『必要』の領域なのだ。なんども日記に書いているが彼女は一般的に言って決して特別できる女じゃない。でも私だけには必要なレベルなのだ。そして他の存在では感覚的に代替が利かないと感じている。


ここで最初のテーマ『結婚を考える』にもどるが、だから結婚を考えた。無いと困る存在である彼女が私の人生に現れた。困るのだから手に入れたい。でも彼女は『物』では無く一個の自由意志を持った立派な存在である。彼女の承認を無しに私が自分の人生と彼女の人生を共有する事は不可能だ。


だから、結婚という契約を結びたい。


これは意思表示。


あなたは私の人生に取って必要不可欠で、可能であれば今後の人生を共有し、お互いにWinWinの関係を構築維持発展させて生きたい。あなたにとって私は契約するに必要充分な存在でしょうか?


ここで断られてしまえばハイそれまで。


最善の策が駄目なら次善、三善の策をたてて残りの人生を歩むしかない。


でこれが私なりの結論。


結婚は必要に駆られてするもので、結婚のためにするものではない。ましてや責任を取るための言い訳に使うなど本来、言語道断。その結婚という契約において生涯、契約者に対し誠実であるべきであり、その誠実さを失ったのなら契約を反故にする権利は契約者たる相手側にある。当然、誠実さを失った対価を払って然るべきだ。だから、契約を結んで家族となった『奥様』は家庭株式会社の取締役に自動的に就任する。取締役なのだから、当然一切の家庭行動には彼女の承認が必要で、相談は経営会議で行われるべきだ。彼女の承認が得られない予算の構築、予算の執行、行動はそもそも夫本人の独りよがりで、きっと、うまくいかないだろう。


一人の普通の女性が持つ、庶民感覚を納得させることができなくてどうして家族、親族の幸せが構築できようか。


だから、結婚は必要な人がすればいい。私は彼女を含む彼女の眷属、私の一家、眷属を幸せにしてあげたい。その手段として彼女の存在が必要不可欠なので私の個人的な考えを超えて、結婚の必要性を感じているのだ。



もしも、結婚して子供ができたらその子供は困るだろうな。



なんで結婚したの?と聞かれて『必要だから…。』ママのどこが好きなの?『特に無い…。』グレなきゃいいがと、どうでもいい心配をしてしまう。



まあ、きっと彼女に子供が質問しても同じ状況だろうな。パパのどこが好きなの?『無いなぁ〜w パパ、三重苦だしw(チビ・ハゲ・デブ)』しかも笑顔でそう子供に力説してそうだから怖い。


おそらく私達カップルはマイノリティー(少数派)であってマジョリティー(多数派)ではない。しかも変わり者同士だから、さらにレアケースである事は保障できる。しっかし、三重苦はないよな。キュリー婦人じゃないんだから。まあ、聞いていて自分でも『上手いこと言うなコイツ』と思ったのだから嫌じゃないのでしょうが。