発達障害だと診断された際、教育委員会での会議でこう言われたことを思い出します。
「あなたは小さいころ勉強もできて要領もよい、頭の回転も速くて、何でも他人より早くできる子、いわゆるできのいい子だといわれて育ってきたタイプでしょう。だけど発達障害というのは、一人ひとりの特性が違います。あなたの息子さんはあなたと同じタイプではないのはわかりますね? あなたは自分が子どもの頃、何の苦労もなくできたことが、どうして息子さんにはできないんだろうと理解できないかもしれない。不思議でしょうがないでしょうね。だけどそう思ったときは、子どもの頃に自分ができなかったことをたくさん思い浮かべてください。そして、自分ができなかったことで息子さんができていることを、ひとつでも多く見つけてあげてください。そうすれば『なんでこんなこともできないの?』という気持ちが静まり、子どもを褒めてあげられるようになります」
その言葉は、私にとって一生忘れることのできない大切な言葉となりました。「親子なのだから」「家族なのだから」という、個と個の境目をあいまいにするような感覚は、時として自分を甘やかし、相手に負担をかけます。「自分と子どもは別々の個性を持った人間であり、私にできないことを彼はたくさんやっている」と、つねに考えることで、子どもを尊重し、心から褒めてあげられるようになります。
↑
週刊東洋経済記事より。
モデル兼タレントとして活躍する栗原類さんの著書
『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』
がこの記事にくっついて紹介されていたので、読んでみた。
その記事の中で、教育委員会の人が言った言葉をコピペ。
以前、結婚していた元妻も似たような障害を持っていたのでよくわかる。結婚生活していた当時、私が彼女に行ったひとつひとつの生活アドバイスは決して間違っていなかった事が裏付けられて良かった。
ただ、それ以外のことは私に反省の余地が多分にある。いや、不貞を働いたとかそういうことではないけれど。自分はふざけているつもりでも、この手の障害を持っている人物には『ガチ』としかとらえられないので、それが彼女の心理的負担になることを軽く考えていたのは私が一方的に悪い。
あと、仕事柄海外赴任があるので、それが彼女的には耐えられなかった。私もできることならずっと日本国内で彼女のそばに寄り添っていたかったが、当時の彼女の医療費の負担も馬鹿にならないので仕事を簡単に変えられなかった。(当時彼女の意向で障碍者手帳を取得しなかったので普通の医療費負担割合であった。毎年高額医療費で還付金が確実な金額を超える状態だった。)
お金の負担は別にどうでも良かった。私がガンガン働けばいいのだから。ただ、それだけの負担に耐えられる給料を毎月もらえる仕事はどうしても限られる。不景気の流れが払拭しきれていない当時の情勢ではおいそれとは仕事が見つからない状態だった。今でこそ、年収800万円を超えるオファーがあちこちから来る様になったが、以前の状態ではそんなオファーは年に1本あるかどうか。転職までの時間が全然足りなかった。
加えて、自分の実の娘なのにもかかわらず、私が海外赴任する間、娘が実家に戻るのも良しとしない先方の親にも正直驚いた。先に私の両親と住ませる提案を拒否してきたので、それならばと実家に戻る案を提案したのにまさかの拒否。
当時の彼女は障害が原因の症状から、一人で生活するのは場合によっては命の危険があった。それなのにである。
ここへきて進退窮まったのは言うまでもないが、実の娘にその程度の愛情しか持てない親族とは一族としてかかわるのは難しいと思ったのも事実だ。
まあ、今となっては全てが過去の話なのだが。
見た目健常者と見える障害者を育てるのはそういう困難が付きまとう。見た目にそうは受け取られない分、イジメに有ったり、精神的にも肉体的にも本人もその家族も悩み、苦労する事がある。
もっと、知見が広まり、正しい理解の輪が広がる事を切に願う。