八田専務理事は「どちらも決して起きてはいけないこと。体罰根絶の取り組みの整備、運用はそれなりに行ってきたが、それが決定打になっていないのかもしれない」と残念そうに話す。
ふたつの案件を踏まえ、同協会では来年2月、「暴力の撲滅に向けた強化策の提案・実施を行う」(八田専務理事)緊急プロジェクトを立ち上げる予定だ。
ひとつの案としては、協会オリジナルの指導者ライセンスを整備し、暴力やパワハラに頼らない指導について、再教育の機会を作ることだ。選手のすべての年代において競技団体独自の指導者資格が存在するのは目下のところ日本サッカー協会のみで、これにバスケットボール協会が続く。
さらに、2月に開催される全国春の高校バレーボール選手権大会(春高バレー)の際に、改めて日本バレーボール協会として、暴力とパワーハラスメントの根絶を宣言。啓もうのための策を考えていくという。
バレーボールの暴力案件が連続したとはいえ、当該の協会および連盟の実務的なトップポジションにあたる専務理事が被害に遭った選手の家族と面会するケースは異例のことだ。
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週刊東洋経済記事より。
バレーボール日本代表クラスの選手である高校生が自死した問題。
バレーボール協会の理事は本当に当事者意識を以って、他のスポーツ団体が逃げ腰なこの問題を真摯に受け止めていると思える良記事。
元読売巨人軍の桑田真澄投手が、スポーツに暴力は必要ないと訴えて、とても良い動画やニュース番組のコラムに出演しているが、私は彼の意見に100%賛同する。
かといって今までの鉄拳制裁を含む指導性が120%間違っているとは言わない。
それは時代背景的な問題も含むと私は個人的に考えている。
例えばこういうことだ。
1.国や自治体にスポーツ支援的な環境が整っていない。
2.競技自体がマイナーで指導者と呼べる先輩が極端に少ない。
3.競技人口が少ないため、指導要領が確立されていない。
主にこんな感じで3つの理由がある場合。
その競技は短期的に人気を得たいとか、手っ取り早く強いチームを作りたいなどの理由で、短絡的な最短距離の指導法を取る場合も考えられる。これが、『指導性暴力』と私は定義したい。
でも、これは競技種目の黎明期にはあり得るし、もしかしたらそれによって効果もあるのかも知れないが、根本は間違っている。まず第一に。そうやって育てられた競技者は大成して競技者として成功したら、間違いなく暴力の再生産を行う。程度の差はあれこれはその指導性暴力を振るう事を正しい事だと認識しているからだ。
これが私が根本的な間違いという根源的理由。
普通に考えたら、判ると思う。『暴力を振るう事が正しい事であるという前提。』この認識が正しくないと誰でも言い切れるでしょう?(笑)
例えば自分の子供に置き換えてみて欲しい。部活動に励むとき、『殴られて育てるのが前提という指導者です!』という看板を首から下げている指導者に誰が子供を預けるのか?
あり得ないでしょう?
指導性暴力を認める人たちはこの事実をまず考えてほしい。
そして暴力の再生産を促す指導性は根本をはき違えており、今後そういうことが無くても目的の競技スポーツを楽しめる環境を作りたいという考え方が、非暴力指導制なんだと理解を私は求めたいと話しているのだ。
今の日本にはその非暴力指導体制を確立する土壌がある。
スポーツ省もできて、非暴力指導制を訴える当該スポーツ指導者が育っている分野も存在する。その指導者は有名なプロ、アマスポーツの大家である。
結果的に自死する子供がいる様な指導性が正しい訳が無い。人の命は極めて尊い事は言を待たないだろう。
だから、だからこそ私は訴えたい。暴力による指導は間違いだと。