「故障を避けるため」とした大船渡・國保陽平監督(32)の判断についてシカゴ・カブスのダルビッシュ有投手(32)は「これほど全国から注目されている中で佐々木君の未来を守ったのは勇気ある行動」と評価。
張本氏は連投を重ねた吉田投手を引き合いに出し「(佐々木投手は)予選で4回くらいしか、450くらいしか投げてないんですよ。昨年ね、吉田輝星が(甲子園で)800球くらい投げてるんですよ、予選からずっと一人で。“宝”とか“宝石”って誰が決めるの?」と疑問を呈した。
続けて、佐々木投手を登板させなかったことにより、チームが犠牲になったとの見方を示し「これぐらいの選手でね、ものすごい素質があります。ダメになった選手はいくらでもいるんだから。監督と佐々木くんのチームじゃないから。ナインはどうします?一緒に戦っているナインは。1年生から3年生まで必死に練習してね、やっぱり甲子園が夢なんですよ」と断じた。
甲子園へかける思いについて「この夢が欲しくてね、小雨の降る路地で泣いたこともあるんですよ。出たい、出たいって」と“選手の思い”を代弁。
司会の関口宏氏が「壊れてしまうかもしれない」と故障の可能性について言及すると、張本氏は「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ。みんな宿命なんだから、スポーツ選手は」 と説明した。
また、國保監督について「彼はアメリカの独立リーグにいた。だからアメリカ流に考えている。アメリカは消耗品と考えるが、東洋人は投げて投げて力をつけるんだ」と力説。
けがをして将来の可能性をつぶすべきではないという意見に対しても「(佐々木投手の)将来を考えたら投げさせたほうがいいに決まってるじゃない。苦しいときの投球を体で覚えてね、それから大成したピッチャーはいくらでもいるんだから。楽させちゃダメですよ。スポーツ選手は」と声をはり上げた。
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Web記事より抜粋。
双方に言いたい事はあるだろうが、そもそも大前提が間違っていると私は思う。
高校野球だろうが、プロ野球だろうが、指揮官(監督)がいるスポーツはまず大前提として、選手は指揮官の元、一致団結して勝利を掴むために戦うのでしょう?
指揮官が、目の前の勝利よりも、選手の未来を選択したのなら、それがどんな結果を招こうとも、その指揮官が上にいる限り、チーム一丸となって戦うのがこの手のチームスポーツの前提条件だ。
嫌なら、そういう指揮官の基を離れるしかない。選手は色々な想いもあるだろう。三年間の想いを掛けて、エースに投げ切ってもらいたかったという考えもあるだろう。でも、三年間、最終的に選手の未来を優先するという判断を普段からする指揮官(監督)の元、戦ってきたはずだ。嫌ならそこで選手を目指さなければ良いだけの話。
また、逆説的に言えばこれだけの投手がいなければ決勝戦まで来る事が出来なかったチームとも言える。佐々木投手を温存して戦う戦法もきっと研究を重ねて練習も積んできたと思うが、その努力が元々甲子園に行くほどのレベルに達していなかったという事なだけだ。勝敗が有る以上それは残酷だけど勝負の世界だ。
それら、色々な重圧が有る中、指揮官として大船渡・國保陽平監督(32)が下した判断は教育者として、また高校野球というスポーツの指揮官として、称賛されるだけの意味のある勇気ある決断だと私は称えたい。
自分が非難されるであろうことを恐れず、生徒の想いを汲み取りつつ、中々出来る判断では無かったと思う。32歳の若さでよくぞ決断したと褒め称えたいです。素晴らしい監督さんです。