トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

10日あまり

今日は会社をサボって日記を更新・・・。

嘘です。私用でお休みを頂いてちこっと時間が出来たので久々に更新。最近よく元カノとメールでやり取りをする。内容は今度企画している合コンのアドバイスだったり最近仲良くなった女の子の話だったりあまり事の本筋とは関係ない内容。

正直役に立ってもらってる。だってやっぱ女だしね男に相談したのとはまた違う答えが出てくるから思考展開に幅が出てかなり参考になる。でね。反省するわけですよ。『ああこの人に振られたのはこういうのがいけなかったのかなぁ〜』ってな。付き合っているころはまったく自覚が無かったのだけれど、俺が女でも駄目だこりゃって事を結構やってると思う。しかも致命的なレベルで(^^)

回数にして多分3〜4回1発アウトの失敗を3回もかませば充分だよな。自分で気がついたときはワラッちまった。

20代のころはまあ過労死寸前まで働いていたからそんな気があっても無くても彼女作れなかったのでしょうが、基本起業に興味のある自分としては家族が出来ると邪魔になると思っていたので女友達がいても出来ても付かず離れずの位置を保って『友人』というよりは『知り合い』という角度で接してきました。

元カノが目の前に現れるまでは。あそこで狂っちまった。スイッチはいると自制が効かないという体験を初めてした感じがする。これが嫌で距離を保っていたのにこのざまだからな。自分の性格からいって結婚なんぞした日には家族のためにそれこそ24時間365日働いていても屁とも思わず全力を家族に注いでしまう気がしすぎて怖い。

多分、自分の夢なんか優先順位最下級以下だと思う。しかもそれが多分快感になっているような精神状態だろうと思う。だから夢の実現には死んでも避けるべき道だと思っていた。

私が尊敬してやまない『タリーズコーヒージャパン』社長の松田公太さんはこの考えがぜんぜん違う。起業したころに銀行系のお仕事ばりばりしていた彼女がおってその当時彼女に状況と夢を話した上で『自立した女性であってほしい。』と言い切って起業したそうで。後の奥様に成るんですけれど。これが理解できなかった。よく彼女がついてきたよな〜っと思うのが一つ。よく彼女をとらないで起業に踏み切ったよなってのが一つ。公太さんは当時銀行マンで20代にして年収1000万だった。それが年収0円の極貧生活に突入するわけで。その疑問が解けなくて納得いかなかったのだが最近こう思うようになった。


『起業しても(何があっても一生)関係が続くパートナーを選んでいたのではないか?』


本文の中では長い海外生活の経験から自立した女性というフレーズが良く出てくる。ここを額面で受け取っていたが、実は『自分の人生を楽しみつつお互いの人生をサポートしあえる人格』ともとれるのではなかろうか?

で考えた。よく『好みの女性は?』というなんでもない質問がかわされることがあるでしょ?飲み会なんかで。あれ凄く困る。好みの容姿といわれればすぐだが好みの女性といわれると規定できないのだよ。条件が多すぎて。つか、正確に言うと条件が多いのではなく条件の絞込みが私個人で出来てないことに気がついた。

好みの段階ですでに譲歩してるのよ要するに。公太さんの話に当てはめると解りやすい。

公太→起業しても自分の世界を失わない人格の女性。
私 →起業したら別れるだろうから彼女作らない自分。

公太→起業後も夢を理解してくれた上で実質手伝うのではなく、相談役みたいなポジションの女性。(サポート)
私 →理解されないだろうから理解しなくても良いように家族は持たない。(ノンサポート)

思ったのよ。俺様さみしくね?だって、起業して一人でずっと仕事するわけじゃないでしょ?取引先やお客様と接していくじゃない。甘さを持たない意味での覚悟は大事だけれど、誰も寄せ付けないような人格の人間に誰が耳を傾けて商売の話を聞いてくれる?

そんな研ぎ澄まされて切り付けられそうな人に私が出会ったら警戒して話を半分も聞けないかもしれない。たとえどんなに優れた話でも選択できないかもしれないよ。この考え方が正しいのか間違っているのか解らないけど少なくも今までよりは女性陣を認めることで幅が広がった気がした。

そして今。最近知り合ったというか知り合ったのは5〜6年前だけど最近仲良くなった女の子に英語を教えてもらっている。その他にストレッチ教えてくれる人と料理教えてくれる人がそれぞれいる。やっぱ師匠を持つと上達が早い。これからいろいろ相談していくと思うけど彼女たちはみな頼もしい人格の持ち主ばかりだ。