トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

NHKクローズアップ現代

NHKクローズアップ現代


名前くらいは聞いた事があると思う。結構有名な番組だ。


NHKはたまに非常にレベルの高い取材を行うので好きなのだが、特に平日のクローズアップ現代は現代の社会問題を浮き彫りにする取材が多く番組の完成度も高いほうだと思う。


日本に一次帰国した際に約半年分書籍を中国にもっていくのだが、その中に何冊かあった本がこの『NHKクローズアップ現代』つながりでくくれると持って来てから気が付いた。


30代の『助けてと言えない』という番組からスタートした取材をまとめた本と自殺問題を扱った本が被った。



どちらもNHKクローズアップ現代の作成に関わった人たちの書籍だった。



今の30代は『自己責任』の呪縛に捕われて死の寸前まで下手すれば死んだとしても『今の貧困は自分が招いた自己責任で他人や社会の性じゃない』と思い続けていると言う内容だった。


一見するとホームレスに見えない若年ホームレスに焦点を当てた取材は本当に驚愕すべき今の日本の実態を浮き彫りにした。


最初は39歳で餓死した青年の家から発見された未投函の手紙から始まった。その持ち主が死して投函されなかった手紙には『助けて』とたった一言書いてあったそうだ。


餓死は最も苦しい死に方の一つ。死ぬ瞬間まで苦しみが続く。彼は家族がいなかった訳では無い。親兄弟もいて、仕事も普通にしていた極平凡な青年だった。それが一度、社会の輪から外れただけであれよと言う間に転落し、誰からも手を差し伸べられる間も無く死に至った。しかも、ゆっくりと確実に。


彼には正社員として働いていた時期に将来を約束した彼女が居たらしい。雇用の悪化で転職を繰り返し、収入が激減していく中で分かれたとの事だった。私は別に分かれた彼女が悪いと言うつもりは無い。彼女の立場からすれば当然の選択である。将来を考える相手に収入が不安定というのでは考えるのが普通だから。でも、彼だってきっとそのままで良いと思っていなかったはずだ。事実彼はその死の瞬間まで懸命に仕事を探し、生きようともがき、これ以上ないくらい必死に社会人としての責務を果たそうとしていた。


ただ一つ違うのは彼は誰にも助けを求めなかった。誰にも弱音を吐かなかった。死ぬまで。彼女にも彼の親兄弟にも。


最後に一通。『助けて』と出さない手紙を書いただけ。


NHK取材班は疑問に思った『なぜ助けてと言えなかったのか?』いろいろな理由が浮上してきた。時代背景や世代背景が30代は本当に『自己責任の呪縛』で覆い尽くされているという事実。彼が死ぬほど困っていることをわかって上げられなかった苦悩を吐露する友人達。親兄弟。


自殺問題を扱った本にもこうある


1.『自殺する側は罪の意識で自殺する。自分の力が足りなくて申し訳ない。』

2.『自殺にいたるまでの理由はひとつではなく複数で平均4つの理由が重なると自殺する傾向が強い。』

3.自殺遺族は当人の自殺後なぜ自殺を止められなかったかで永遠に悩む。


この2冊の本は根底でつながっている。結局、助けを求める事が『悪』だと思っている事が人を死に追いやっている。自己責任とは助けを求めてはいけない意味ではない。自分で責任を取る覚悟と意思表示を明確にしていればその結果取れない責任を負わされたら『逃げる』のも有りって事だ。その為に社会はあり、隣人が助けあう意味がある。


もう一冊読んだ本に『おちおち死んでいられません。』という本がある。福本清三ラストサムライでハリウッドデビューした斬られ役の大家である。時代劇ファンなら知らない人はいない。斬られた回数100万回の男である。


彼の本には今も昔も貧乏で人の情けで助け合って何とか生きてきたとある。今でもかれは映画会社に籍を置いて仕事をしているが、本当に食うのがやっとの生活である。でも本人はいたって明るい。自分も困っている人がいたら助けるし、自分が困っている時は助けてもらう。


日本は助け合いの精神をもっていたはずなのに。


いつからそうなってしまったのか。私も解らないし、自分もそういった冷たい側に居るのかもしれない。


自分は過労死しかけた時、同じように思っていた。『これは自分の責任だ自分が弱いからこんな結果になったのだ』と。運良く本当に運が良く助かったが、最初に出てきた39歳の青年との違いは紙一重だと思う。


そう考えると薄ら寒い。


日本人の良い面、責任感の強さの裏返しなのだろうが…。