トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

日本の夏休み

日本がお盆休みである。


今年は震災の被害もあっていつもとは違う夏休みなのは間違いないだろう。本当に被災された地域の方は休みの感覚すら無いのだろうから。生きる事が精一杯で他の事を考える余裕なんて無いと思う。


実際現場に立ってみないと所詮、ひとごとだから何でもいえる。自分も中国に赴任しているからきっとそうだ。でも、だからこそ、被災地域の人たちの健康と息災を祈りたい気持ちで一杯である。祈るのは勝手だ。


で。話は変るが。夏休みの思い出って何を思い浮かべますか?


夏休みの宿題が面倒くさかった事以外思い出せない私は結構悲しいのかもしれませんが…。大学時代は夏休みはバイトに全力を注いだ思い出しかないし。半期に一回の大型休みなのでここでしっかり資金を稼いでおかないと教科書代やら交通費やらの資金調達に難が出てしまう。下手をすると大学再開のタイミングで食糧不足に陥る事もあったので、切実なのでありました。奨学金と休み期間の短期バイトで1年分の経費を調達していたからな。


授業料や入学金は親から融資してもらったがこれもしっかり返していかないといけないし(育英会の融資は既に返済済み)お金の事だけではなくて融資してくれた『心意気』の分も利子つけて返さないとな。


まあそれはいいとして。


私の彼女は夏休みとか正月休みとか良く田舎に遊びに行く。親戚縁者が集まるらしい。面倒くさい事この上ない。


彼女は働き手としてかいがいしくせっせと集まった親戚やらのガキ共と遊んでやり、食事の手伝いやらなにやらもせっせとこなすらしい。集まった親戚の嫁軍団は労働力として役に立たないらしい。


この集まりは一体何が楽しいのか?集まってもらったジジババが楽しいのはまあ意味があるとして世話に回る人たちはいつもの仕事量以外の事が増えるのに楽しい事なんて何も無いのではないか?と思う。しかも、彼女から聞く限り何かあつまった意味のあるイベントをしている様子が見られない。ただ集まっただけ。毎回毎回良くも飽きないものだ。そんなに集団数を大きくして生活したいなら大家族で一緒に住めばよかろうに。それはしない。わざわざ経費と時間をかけてあつまり、費用対効果が全然読み取れない『イベント無きイベント』の為に集団生活する。私から見ると無駄の塊。まさに『誰得』である。誰が一体得をしているのか?アホ臭い。


それが親戚付き合いだと言うなら親戚なんぞいらんわい。無駄に経費を使い、時間を使い最終的に疲れに行くなら行かないで家に居る方がずっとマシ。そうでなくても貴重な休みだからもっと普段出来ない事に時間を使いたい。無駄にのんびりする時間はもったいないのだ。


と。つい2〜3日前まで考えていたが。ちょっと変ってきた。


彼女の話だと親戚集団には幼児から小学生まで多種多様なクソガキ様が含まれており、その世話もするという。加えて、使えない嫁集団がこれまたお里が知れるような使えない女トークをしっかり、実演してくれるのだそうだ。これはかなり意味がある。


時間と経費をかけてその内容を見て体験できる事は貴重な経験だ。実生活に基くトライ&エラーを疑似体験できると共に、生活の結果としてどう『子供』が育っているのかをタダで目撃できる。それこそ子育ての疑似体験が可能なのだ。しかも期限付きだから後腐れない。問題が出てくる前に『また来年〜w』ってなもんだ。


こうすると俄然、意味がある。そもそも核家族化が進む現代日本で、夫婦のサンプルなんてそうそう間直に見ることはできない。しかも子供の行動サンプル付きなんてもはや奇跡である。何を考えどう行動するか?これは非常に勉強になる。独身だったとしてもそのような機会には積極的に触れて情報収集すべきだと個人的には思う。


例えば、被災して仕舞ったとき、小さい子供をつれた家族は何が一番欲しいのか?付き合いが無ければ直感的にわからない。逆に年寄りなら何が必要か?女性独身なら?若い夫婦なら?男性単独なら?いろんなケースを短期間に疑似体験可能である。これは非常に興味深い。自分が実際経験する為にいちいち結婚離婚を繰り返していたら破算してしまうが、親戚に遊びに行くなら簡単だ。


田舎に遊びに行く意味がこのようにあるとはこの年まで理解できなかった…。まだまだ修業不足だ。彼女はその点偉い。彼女は言う。『私はお手伝いさんで行って来るからね〜w』既に自身が楽しむ角度が他とは違う。


彼女なりに楽しいらしい…。


奴はすげぇ…。私の負けである。