トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

自己肯定感が低い子供を量産するということ

いじめの数は、文部科学省にまで届いただけでも年間約61万件です。先生が気づかないいじめなんていくらでもありますから、これは氷山の一角です。そして61万件のいじめのうち、約48万件は、小学校で起きているんです。しかも重大事態の発生件数は約720件。命にかかわるようないじめが、年間720件も起きている、ということです。

小中学生のなかでいじめが一番多いのは何年生かわかりますか? 正解は、小学校2年生。いじめが驚くほど低年齢化しています。小さなころから、子どもたちはストレスをためている。社会のありようや、目に見える子どもたちのありようは変わっても、子どもが抱えている生きづらさは変わっていない。むしろ強まっているように見えます。

では、なんで子どもたちは苦しんでいるのか。苦しんでいる子どもたちの特徴のひとつに「自己肯定感の低さ」があります。令和元年版の「子供・若者白書」では「自分自身に満足をしているか」という質問に対して、堂々と「満足している」と答えられた日本人は10%しかいません。

「子どもの自信を奪っているのは、いったいなんなんだ」。これが私のライフテーマでした。ずっと考え続けて、10年前にひとつの仮説を立てました。それは、子どもの自信を奪っているのは、「大人たちの不安」なんじゃないか、ということです。

「私の子育てはこのままでいいの? 正しい親って評価を受けられるの?」。大人はそれが心配なんです。そして他人から「正しい親」と言ってもらうために、子どもの評価を親の評価と結びつけて考えてしまう。「お宅の子は〇〇高校へ行ったの? そして〇〇大学まで進学したの? やっぱり親の育て方がよかったのね」と言われたいんです。

(中略)

大人に求められているのは、子どもを信じて、腹をくくれるかどうかです。学校へ行かないと将来困るかもしれない、ちゃんと就職できないかもしれない、他人とうまく関われないかもしれない。これって大人の不安です。将来のことを考えて、子どもの今を見ていない。みなさんに言いたいです。問題は起きてから悩みませんか。子どもは今持っている力で今を生きるしかないんです。明日、手に入る力で今を生きることはできません。今がなくなったら未来なんて生きられない。今が大事なんです。今子どもが何を求めているか、好奇心が向いているのは何か、それを察知し、任せてみませんか。子どもの力を信じて、子どもが自ら伸びていこうとすることの邪魔をしない。このことを私たちがしっかりと肝に銘じることです。

 

 

週刊東洋経済記事より。

 

もう、この記事読んで絶句した。

 

全くその通りだと思う。親も大変なのは良く解る。良く解るけど、子供の方が大変だ。何も持っていないところか、失敗も許されず育てられてみな?そりゃ、生き辛いだろうよ。そりゃ、自分より出来ないヤツをいじめて安心を得たいだろうよ。

 

それがやっちゃいけない事だと分かっていたって、限られた本当に狭い学校なんて世界が生きるすべてのスペースである子どもからしたら、逃げ道なんかないもの。しんどいよ。親も頼れない。親が不安を抱えてるから、弱音を吐けない。そんな状況で、親の庇護が無ければ生きられない子供が、学校という閉ざされた世界でどうやって生存競争を生き抜くか。

 

自分はいじめられっ子だったから、この人の話がよく、よく、よーくわかる。

 

今でこそ、いじめっ子の間違いじゃないの?と言われるくらいになったけれど、それはたまたま良い友人、良い師匠、良い親に恵まれたからにすぎない。自分一人でなんて、筆舌に尽くし難いいじめを乗り越えてハジキ返して、成長なんて出来ない。出来る人も居るかも知れないが、それは極めて難しい。

 

私には子供も居なければ伴侶も居ませんが、せめて世界でたった一人、誰が言わなくても、自分の子供がいたら、腹をくくってあなたは大丈夫と言い続けられる大人で、親でありたい。

 

しんどい子供なんて見ていてこっちがしんどくなる。

 

何か出来る事は無いのか。何か手伝える事は無いのか。本当に、本当に自分で出来る事を探したい。しんどさを一回分でも、肩代わりしてあげたい。