日本人においても白米の摂取量が多ければ多いほど糖尿病になる可能性が高くなることが明らかになった。
論文では、男性では、白米を食べる量が(ごはん1杯160g換算で)1日2杯以下のグループと比べて、1日2〜3杯食べるグループでは5年以内に糖尿病になるリスクが24%高いことが明らかになった。
その一方で、ごはんを1日2〜3杯食べる人と、3杯以上食べる人たちで糖尿病のリスクは変わらなかった。1日2杯(315g)くらいが糖尿病のリスクが上がりはじめる境界だと考えてもいいかもしれない。
女性ではもっとシンプルな関係、つまり白米を食べる量が多ければ多いほど糖尿病のリスクが高くなるという関係が認められた。白米を1日1杯しか食べないグループに比べて(最も少ないグループの白米摂取量が男女で違うので注意が必要)、1日2杯食べるグループでは15%、3杯食べるグループでは48%、4杯食べるグループでは65%も糖尿病になるリスクが高くなることがわかった。
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週刊東洋経済記事より。
この後に、日常的に激しい運動をする人では優位性は見られなかったとか、腹が減るので米食以外へ転換するとかが挙げられている。
では、なんで白米を食べ続けると糖尿病リスクが上がるのかについては実はこの記事では紹介されていない。あくまでも対症療法的な話し方なのだ。
江戸時代は一日に5合、成人男性は白米を食べていたとの事。
銀シャリなんて言うでしょう?
江戸に住んでいる江戸っ子は白米を優先的に食べることができた。あらゆる良いものが江戸に集まったから。江戸っ子的には無理してでも白米を食べることがステータスであり、米が食えない=江戸っ子ではない。くらいのアイデンティティになっていたらしい。
ところが反面、白米過剰摂取によるミネラル不足で、江戸病と言われる脚気が大流行。玄米を食べていれば死ぬこともなかろうに白米だけを積極的に食べていた江戸の民は脚気で死ぬ人が少なくなかった。
これをとっても、白米の過剰摂取は糖尿病なのどのリスクを上げるのが想像にガタくなさそうだが、恐らく私が個人的に考えるに精製度の問題なんだと思う。
人間が育んだ技術によって食べ物は劇的に美味しくなった。調味料だけに限らないが、分かりやすいので、紹介すると、お砂糖も、白糖が開発されて、より甘くより味わいのあるものが食べれられるようになった。
でも、白糖が体に悪いのは周知の事実。
で、
ここで大事な味覚なんだが。犬や猫は人間ほど味の濃いものは食べない。体の大きさからして人間サイズの塩分を摂取してたら死んでしまうレベルだからだ。相対的に味覚は薄くなる。だから、栄養価はともかく味だけで言ったら、キャットフードやドッグフードは人間が食えたものではないだろう。
とすると、本来の人間の消化器系や味覚に合わせて丁度良い所は実は玄米やらを食べる程度のものではかなかろうか?という推測が成り立たないか?
進化はン百万年をかけてゆっくり進んできた。ところどころ劇的な変化はあったにせよその歩みは決して早くない。
に対して、技術革新は日進月歩だ。つまり、人間の体が対応できない程に食べ物の精製技術が進んだ結果、人体には過剰摂取に繋がる食物状態になってしまっているのではないだろうか?
味覚が発達して趣向品になった食事に対して、体の調和を保つためにまずいものを我慢して食えといわれても一度適応した美味しさを忘れるのは無理だろう。
つまり、美味しいものは基本的に体に悪いように出来ているのかもしれんということだ。
そう考えると、記事も納得できるし、そのまずくない程度、健康被害を抑えられる程度で調整しながら食生活を考えるのは私にとってとても興味のある課題だ。それを美味しく頂けるように工夫するのが、料理人のお仕事だし、趣味で料理をする人の楽しみだからだ(笑)