トマの日記

忘備録、雑感、所感などを日記形式で書き綴る。昔はノートに日記を付けていたけれど、ノートを持ち歩かなければいけなかったので、ブログ形式でWeb更新出来る様に変えたのがきっかけ。

海外駐在7年目突入。

海外駐在勤務を会社から命じられ、通算二回目の駐在任務中な訳ですが。一回の海外駐在任務が原則3年な訳で、二回目だから6年は確実になるのですが、一回目の駐在任務も「3年が期限です!」と言われて普通に3年2ヵ月駐在してました。

 

ちなみに、一回目の駐在任務の時は会社の規定では「最長1年の海外勤務を命じる事が有る。」と書かれていました(笑)

 

私が、3年海外に島流しに有って以降、会社の規定は変更され、「海外勤務は原則3年とする」という文言に・・・。あれ?私のせいで他の人が迷惑してます?(笑)という状況に。

 

実は会社規定では駐在任務をやむを得ない事情により、延長する場合はその終了期限3ヵ月以上前に本人の承諾を得て延長が可能というルールがあります。一回目の時もそうでしたが、もう既に残り駐在期間は2ヵ月を切っていますが、未だに延長するとも、〇〇日に帰国せよ!との辞令も出ません(笑)

 

私の就業ビザ9月早々に切れるんですけど?不法滞在してでも、職務を全うせよということなんですかね?(涙)

 

まあ、という訳で通算海外生活7年目に入ったので、記念に日記に記しました。

 

2010年からのこの2019年までの10年間で、7年目ですよ。ここ10年で区切ったら、海外にいた時間の方が長いっすよ。随分長い事、日本を離れたなぁと振り返ってしまいました。

 

人生の約四分の一、海外で過ごした訳ですが、お蔭で日本語以外の言語も習得したし、日本にいたら経験できなかったであろう経験も色々する事が出来ました。こりゃ、マズいなと思う事も経験しました。

 

この海外生活6年超で物理的に死に掛けたのが2回。法的に抹殺されそうになったのが1回。計三回、ピンチが有った訳ですが、日本に住んでいる40年以上の年月で一回も死にそうにならなかったのに、外に出ている6年ちょっとで、2年に一回、死ぬかもしれない目に遭っているって、頻度高くないですか?(笑)

 

笑ってる場合じゃないけど。

 

まあ、独身ですし、死んでも迷惑掛かる人もいませんから、(寧ろ海外で死ねば親族へ保険金が有る程度入るので、幸せかも。)悲しむのは親と一部友人くらいだろうから、大した数では無いし。

 

でも、まあ、放置プレイは正直酷いと思います。

 

特段何が何でも、日本の土を踏みたいのだ!とも思わないし、大抵どこの国でも、銃弾が飛び交う様な国でない限り、生きて行ける自信はありますけど。

 

日本では45歳以上の人が大量リストラに追いやられ労働市場が、少なからず騒めいている昨今。私みたいなろくに仕事も出来ない海外へ放り出された浦島太郎が、国に帰って何が出来るのか?とも思ったりします。

 

嬉しい事に、中国の会社からは残ってくれたら、マンションやる!(日本円で8000万円くらいの価値)とか、年収を今の二倍、三倍にしてくれるとか、景気の良い事を言われてるし、他の日系企業業界からは今の年収の1.5~2倍でうちに来ませんか?なんてオファーもたまに来る。

 

中国の契約は基本的に1年更新だから、マンションもらっても、年収が倍になっても来年クビじゃあ、老後まで暮らせないし。他の企業に行っても良いんですが、今までのキャリアを全部捨てて行くほど魅力的とも思えない。

 

60歳定年まで、使えねーロートルと思われながら、底辺でそこそこ働いて、退職金もらったら、どっかの田舎の別荘地の投げ売り別荘を買って、ニート生活するか、65歳まで、会社で嘱託で働かせてもらえるなら、細々と食いつなごうかなと思ってます。

 

帰国する日は決まってませんが、本当は年単位の延長を行う筈が、日本本社の社長が、『あいつを絶対国内に戻せ!』と強い要望を出しているとの事で戻る事だけは決まっているそうです(笑)

 

何でも私が聞く限り、日本の取締役と現地中国法人の社長と現地の上司の女部長さんは『あいつ意外に使えるから、しばらく残して欲しい。つか、あいつ中国に帰化させて良いんじゃね?』とか日本本社に談判したらしい(笑)

 

全く、人の事なんだと思ってるんだか。【お便利キャラだろ?】

 

で、それに対して、日本の社長がダメ出しをしたと。

 

社長とは昔、全社を挙げた新規参入プロジェクトで、プロジェクトチームを組んだ時に混ざっていたご縁で、かわいがってもらってますが、そういう訳で大した仕事を出来る訳では無いので、過剰・過大評価だと、自分は思ってます。ちなみにその時のプロジェクトリーダーが、今の社長です。

 

今の会長と先代の日本の所属部署の部長に言いたい事を言いすぎて、クビになりかけたところを、今の社長に救ってもらった恩義があるので、社長には頭が上がりませんし、時々かってに人の携帯に個人電話してくるので、心臓に悪い人ですが、恩が有る以上、大抵の無理難題はご無理御もっともで、聞いてきたつもりです。

 

どの位の無理難題かと言えば、そうですね。

 

戦国武将好きな人なら解るかも知れませんが、豊臣秀吉を会社の社長としたら、弟の豊臣秀長が私の立場でしょうか?(笑)

 

クビになりかけたのは今までで、認識しているのは2回。

私が知らないのを入れると多分、3回か4回。

その内、一回はその全社挙げてのプロジェクトをポシャる寸前まで追い込んだが故に首が飛びそうになったので、そん時のプロジェクトリーダーだった今の社長からはトンデモねーヤツと思われていると思ってたんですけどね。そうじゃないみたいで。

 

その時は奇跡の挽回があって、最終的に上手くいったんですが。

 

あれは正直言って運なので、別に私の力じゃ御座いません。本当にたまたま、偶然うまく行っただけです。

 

そんなこんなの7年目海外駐在生活ですが、7月久し振りに休暇を取って日本に帰国するので、めいっぱい、綺麗な空気を肺にため込んで、美味しいものを食べたいと思います。